未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

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まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

The Friend By Sigrid Nunez(シークリット・ヌーネス)

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 アメリカにも日本と同じようにいろいろな文学賞があるが、主なものをあげると全米図書賞、全米批評家賞、ピューリッツァー賞の三つだ。これらは、新人もベテランも短編も長編も関係なく、同列に選考される。

 そして2018年の全米図書賞のフィクション部門を受賞したのがSigrid Nunez(シークリット・ヌーネス)の『The Friend』だ。

 著者のヌーネスについては、wikipediaから抜粋しよう。

 シークリット・ヌーネスは1951年、ニューヨーク生まれ。ドイツ人の母親と、中国系パナマ人(19世紀にパナマへ移住した中国人の子孫)の父親との間の子だそうだ。95年に作家デビュー。過去にスーザン・ソンタグの息子David Rieffと恋人関係にあり、ソンタグ一家と交流があったそうで、そのときの経験をもとにソンタグの回想録も書いている(2011年)。

 調べて驚いたが、95年のデビュー作『神の息に吹かれる羽根』、98年の三作目の小説『ミッツ‐ヴァージニア・ウルフのマーモセット』が、いずれも08年に杉浦悦子訳で水声社から出版されていた。名前の日本語読みも、これで初めて知った。

 『The Friend』は七作目となる。

 

***

 

 

 冒頭、カンボジアのクメールルージュを生き延びた女性のエピソードのあとに、以下の文が続く。

 

「これが、あなたが生きている間に私と交わした最後の話題だった。そのあと、私の調査に役立つかもしれないと、あなたが考えた資料のリストがメールで送られてきた。そして、そういう季節だったからなのだけど、そこには来年もよろしくと締めくくられてあった。

 

 あなたの死亡記事には間違いが二つあった。ひとつはロンドンからニューヨークへと移った時期。一年ずれていた。もうひとつは最初の奥さんの旧姓の綴り。どちらも大した間違いではないし、すぐに訂正された。でも私たちは、もしあなたがこれを知ったら怒り狂うことを知っていた。」(2)

 

 『The Friend』は、男性の友人を自殺で失った女性作家が主人公。基本的にI(女性作家「私」)がYou(友人「あなた」)に語りかける一人称視点で進む。こんな文体だと「『私』と『あなた』は恋人関係だった」と予想してしまうが、どうもそうではない。

 「あなた」は「私」と同じ作家だが、「私」の創作科時代の先生でもあり、教え子と何度も関係を持ち、三度の結婚をした“womanizer”(女たらし)であり、かなり保守的な考えをする人物と、簡単に言えばクソ野郎だ(愛読書はクッツェーの『恥辱』というのが笑いどころ)。多くの女性と関係を持ちながらも「私」と恋人関係はおろか、肉体関係も持ったことはなかった。だからこそ「私」と「あなた」は“The Friend”だったのだ。

 序盤、「私」が第三夫人と会った際に、「私」は半ば無理やり「あなた」の忘れ形見である老犬を預かることになってしまう。老犬の名はアポロ。「私」の言うことをまったくきかないアポロ。しかも今住んでいるアパートはペット禁止だ。そんなアポロとの困難な生活の中で、「あなた」との思い出を反芻しつつ、思索がいろいろな方向へ流れていく。喪失について、自殺について、友情について、動物について、創作について、愛について…これらを古今東西、文学から映画まで様々な作品を引用しながら語っていくという内容。

 

***

 

 『The Friend』のポイントは二点ある。まず一点はその「思索」。連想ゲームのように次から次へと展開される思索が、とても読みやすい。アポロが「私」になつかない様を見て、『忠犬ハチ公』を引用しながら犬の生態について語れば、「私」が先生をしている創作のワークショップでは、性差別の構造に苦しんだ女性の体験談だったりと、かなり重いテーマを扱っている(ワークショップの場面はかなりの頁数を割いて多くのことを語っており、どれも読み応え抜群)。

 

そしてその思索の先に、ある疑問が読者の頭の中に残り続ける。

 

「いや、『私』は『あなた』のことを愛してたんちゃうん?」

 

ということだ。これが二点目のポイント。

 これを「私」は直接的に言及しない。つまり、認めようとしない。かたくなに「愛していた」ことを避けながら「あなた」について語る様が、どこかおかしくもあり、ピュアでもあるのだ。

 そしてラスト40頁ほどで小説が突然動きだす。シークリットは比較的淡々と進んできたこの小説の最後に、二つ仕掛けを用意している。

 

 

***以降、ネタバレ***

 

 

 「あなた」は自分の文章を朗読するのが好きで、それこそが推敲のコツだと常に言っていた。それを思い出した「私」は朗読を始めてみると、それに反応したのか今までなつかなかったアポロが「私」に心を開くようになってきた。「私」と「アポロ」は、互いに喪失感を埋め合わすことで関係を深めていった。

 そんな中、「私」は通っていたセラピスト(日本語なら「カウンセラー」のほうが適切か?)との面談の中で、「あなた」のことを好きだったのではないか(問われたとしか書かず、「私」はその問いについての答えを出していない)、「あなた」について何か書いてみてはどうか、と言われる。

 

 そして、ラスト手前の第11章、三人称視点での語りが始まる。つまり、「あなた」の自殺が未遂に終わり、「私」と恋人関係になっているというメタフィクションだ。「私」が実際に書いてみたということなのだろう、この章でもアレクシエーヴィッチなどを引用し、創作について二人が討論などをする。しかし、この章が唐突に終わることで「私」が書けなかったことが分かる。この章の終わらせ方は、頁数の調整などもあって見事だった。

 

 そして最後の第12章、再び「私」による一人称語りになる。しかし、数ページ読むと今までと何か違っていることに気がつく。最後の章では“You”が「あなた」ではなく「アポロ」を指しているのだ。ここにきて「私」はようやく気持ちを整理(正確には、整理がつかないことを受け入れる)できたように思える。

 

「何も変わっていない。ずっとシンプルなことだった。あなたがいなくて寂しい(I miss him)。毎日あなたが恋しい。あなたのことが、本当に、恋しい。

 でもこの感情が去ってしまったら、どうなってしまうの?

 そんなこと起こってほしくない。」(209)

「私はいまだに、彼に恋していたのか、そうでないのか、はっきり答えることはできない」(210)

 

 最後は老犬アポロと海岸線(?)を散歩する、非常に爽やかなシーンで終わる。

 

「私たちが失い、嘆き、恋しく思うものこそが、真に深いところで私たちを形成するものじゃない?」(211)