未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

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まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

Shadowbahn by Steve Erickson

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 未翻訳のアメリカ文学を紹介する書肆侃侃房の連載にて、藤井光がエルヴィス・プレスリーを扱う「2018年」の二つの小説について紹介している。

第12回 “America” feat. Elvis Presley, 2018 Remix(藤井光)|書肆侃侃房|note

 その中で、デニス・ジョンソンの遺作となった短編集には、死産だった双子の兄弟ジェシーが実は生きていたという設定で登場し、エルヴィスと入れ替わる小説が収められているそうではないか。ここまでくれば、なぜ藤井光が「2018年」という括りを使ったのかが明らかになる。2017年にスティーヴ・エリクソンが『Shadowbahn(シャドウバーン)』という、とんでもない小説を出版していたからだ。

 

「もし俺たちが歴史について本当に何でも知っているのなら、俺たちは受け入れなくてはいけない…気まぐれを…」

「え?なんだって?」

「でたらめ、ってことさ。その事実をよく呑み込まなくてはいけない。もし…チャーチルリンカーンがいた場所を同じ時代の上で100キロメートルか100マイルずらすことができたら、あるいは10年かそこらか。そしたら、何もかもが変わってしまう」(169

 

 スティーヴ・エリクソンは時空や空間を越える作風で知られ、それはしばしば「歴史改変小説」という形をとる。現実の歴史とは別の歴史を並立させることで、エリクソンは現実の、とくにアメリカの意義や問題点を浮き彫りにする。そんなエリクソンが『シャドウバーン』で提示したのは「エルヴィス・プレスリーがいなかったアメリカ」だ。

 

 『シャドウバーン』の舞台は2021年。二つに分かれて内戦状態に陥っているアメリカはサウスダコタ州のバッドランドという荒野に、20年前崩落したはずのツインタワーが突然現われる。その93階で目覚めた建物内唯一の人物こそ、死産したはずのジェシープレスリーだ。

 目覚めたジェシーはなんだかんだあってツインタワーの最上階から飛び降りる。するとジェシーは全く違う時代へと移動していた。そんな中、肌の色が違う兄妹パーカーとジーマは母親に会うためにアメリカ横断のドライブをしていた…ii

 物語はジェシープレスリーによるエルヴィスがいなかった架空のアメリカ史と、パーカーとジーマの家族という2つの語りを軸に進むのだが、まず「エルヴィスがいない架空のアメリカ史」が抜群の発想で、ハンパじゃない面白さなのだ。

 

 現代のポピュラーミュージックのルーツをたどっていくと、最重要アーティストとして当然ビートルズが挙がるだろう。そのビートルズが憧れたのがエルヴィス・プレスリー。ではそのエルヴィスがいなかったらどうなるか…

 …なんとビートルズはデビュー前のハンブルク時代で解散しており(!)、ポールはイギリスに戻ってシュトックハウゼンに影響を受けたアヴァンギャルドな音楽家になっている。ジェシーはそんな「シルヴァー・ビートルズ」(もちろんドラマーはピート・ベスト)を記事にする音楽ライターとして生活している。

 そして影響は音楽だけではない。

 アメリカではジョン・F・ケネディは大統領に落選、信じられないほど老けこんでアンディ・ウォーホールのスタジオでたむろしている。ジョン・レノンはそんな中、漫画家になったりレコード屋で働いていたりする。もちろん80年に拳銃で撃たれることもない。

 巽孝之は『パラノイドの帝国』(2018年)にて、この架空のアメリカ史を「クリントン政権以降に体制化してしまった団塊の世代60年代対抗文化(カウンターカルチュア)があらかじめ失われたもうひとつの世界史にほかならない。それは、トランプが掲げた『反エスタブリッシュメント』への痛烈な皮肉である」iiiとしている。つまりエルヴィスがいなければ、反体制としてのロックミュージックも、革新的な政治家ケネディも誕生しなかったということだ。

 

 そして、終盤に登場する「ツイン・プレイリスト」を見てもらおう。

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 さて、知っている曲が何曲あるだろうか? 少しだけ触れるならば、物語中で重要な役割を果たす2曲、“Oh Sheandoah(オー・シェナンドー)”と“O Superman(オー・スーパーマン)”だ。

 「オー・シェナンドー」はミズーリ川を歌ったアメリカの民謡であり、隣の「オー・スーパーマン」は実験的音楽家ローリー・アンダーソンルー・リードの配偶者でもある)が1981年に発表した代表曲だ。ちなみに、古くからのアメリカの民謡はともかく、なぜ“O Superman”が重要な曲なのかは、ツインタワーを思い浮かべながら歌詞を調べてみるとすぐ分かる。

 スタンダードナンバーからカントリー、フォーク、ロックはもちろん実験音楽からヒップホップ(ヒップホップは大物の代表曲という分かりやすい選曲だが笑)まで多彩なリスト。これらはパーカーとジーマの父親である小説家(エリクソン本人の分身といえる)によって「本人にしか分からない根拠でもって」作られた。音楽ファンならこのリストの関連を考えたり、知らない曲を調べるだけでいくらでも時間をつぶせるだろう。

 ここまでくれば分かると思うが、この小説には音楽ネタがとんでもなくわんさか出てくる。上記のリスト内外からの曲の歌詞が、色々なところに散りばめられている。もちろん、それはジェシーの架空のアメリカ史のパートだけではない。

 

 さて、パーカーとジーマの世界ではどうなっているかというと、エルヴィスのいないアメリカがこちらの世界にも干渉してくる。こちらの世界ではツインタワーの出現後、音楽が消えてしまうのだ(!)。Youtubeから、ストリーミングサービスから、もちろんCD、レコード、カセットも全部ダメ。唯一、音楽が流れてくるのはジーマの身体からという奇想天外っぷりiv。よってアメリカ中の話題はツインタワーと、パーカーとジーマの兄妹の二つに集中する。兄妹の元にはゾンビさながら人々が音楽を求めて集まって来る。車にしがみつきながら「ケイティ・ペリー! コールドプレイ!」(130)と群集が叫んでリクエストするシーンは爆笑せざるを得ない。 

 やがて、パーカーとジーマは二つに分断されたアメリカを貫く「シャドウバーン」へと到達するが、そこで語りは作家である父親へと移る。一方、ジェシーはと言うと、とある秘密のレコードを探すことになるのだが…。

 

 というのが『シャドウバーン』のだいたいの概要だが、他にも読みどころはある。

 

 後半の展開はこれまでのエリクソン作品に親しんだ人なら大満足のクオリティなのだが、その中でとある人物にジェシー

 

 「一方で、私たちは彼を…解放者とでも呼べるのかもしれない。

(中略)彼が別の彼と入れ替わったことで、私たちを悪魔の白人どもから救ってくれたのだ。私たちの音楽を盗み、私たちのスタイルを盗み、私たちの耳からサウンドを、口から歌を盗んだものどもから」(269

 

と評させている。「ポピュラーミュージックは全て黒人が発明したもので、白人はそれをパクっただけ」という意見は今でもたまに目にする。ブルースも、ジャズも、ロックンロールも、テクノも、ヒップホップも全部黒人が発明したじゃないか、ということだv。そしてエルヴィスこそはロックンロールを黒人から白人の手へと奪った張本人なのだ。また、ヒップホップを好むパーカーに対して、父が「Nワード」を白人がどうして使ってはいけないのかと諭すシーンも印象的だ。

 アメリカを書くということは人種問題を書くことでもある。つまり、白人であるパーカーと黒人であるジーマの兄妹という組み合わせも、非常に示唆的だ。二人の旅は単なる兄妹以上の物語として読むことができる。またジーマがエチオピア出身の養子ということも忘れてはならない。

 パーカーとジーマ、ジェシーとエルヴィスのように、『シャドウバーン』には「対」としての「ツイン」が多く登場する。ツインタワーはもちろん、二つの語り、分裂したアメリカ、ロバートとジョンのケネディ兄弟、ジョンとポール、作家である父親のエージェントがSearch & DestroyOne Nation Under a Grooveという名前(笑)の二人組などなど、探せばいくらでも出て来そうな感じ。そしてそれらをひとつに貫くのが、秘密のハイウェイ「シャドウバーン」であり、秘密のレコード「ルナ・レコーディン…

 

 …しかし、これ以上のネタバレはやめておこう。どうせ柴田元幸訳で近々出るはずだ(多分)。エリクソン97年に初来日をして、日本のファンのリアクションに驚いたと言われているし、直近では2016年に国際文芸フェスティバルで来日をし、今作の一部を披露してくれた。

 それにしても、これだけアメリカを書いてきた作家が日本で人気というのも不思議な話だ(今作にはそれを自虐的に書いた大爆笑フレーズがある)。同時期にデビューした白人男性長編作家、例えばリチャード・パワーズと比べると、アメリカと日本での扱いの違いは大きいviエリクソンのムック本なども読んでみたが、エリクソンが日本での人気に戸惑う箇所はあれど、エリクソンの日本人気の謎は分からなかった。日本の人気作家との共通点は聞いたことがないし、エリクソンの時空を越える「幻視力」は本人が公言しているとおりフォークナーとガルシア=マルケスの影響が色濃いが、そもそもその二人はビッグネームすぎるのであまり理由にはならないし。

 

 …個人的な感想としては、エリクソンの小説って熱いんだよね。まず文体。細かいテクニックというより(そういうのはパワーズのほうがはるかに上手い)、魂で書いている感じがする。そして、いわゆるマジック・リアリズムといわれる幻想文学的ストーリーだが、エリクソンの現実と幻想との境界からも、やっぱり熱を感じるのだ。ガルシア=マルケス、もっと最近なら村上春樹や『紙の民』のサルバドール・プラセンシアとかと比べると、エリクソンマジック・リアリズムには「人の魂が時空を歪めた」感がするからだろうか。『百年の孤独』の世界には人知を越えた力があるが、今作のジェシーの誕生には「誰か」の何らかの意思を感じるのだ。他の作品はその傾向がより顕著だと思う。 

 もしエリクソンがまた来日することがあったら、そんな話を本人にしてみよう。

 

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 前回の来日時にサインをしてもらった『黒い時計の旅』のペーパーバック。家宝。

 

 

 

i 88年の『黒い時計の旅』(柴田元幸訳、白水社2005年)ではヒトラーがバルバロッサ作戦(ソ連侵攻)を決行せず世界大戦が延々と続く20世紀を、91年の『Xのアーチ』(柴田元幸訳、集英社96年)ではアメリカ初代大統領トーマス・ジェファーソンの奴隷サリーを書いてきた。

 

ii 実はこの兄妹とその両親は、エリクソンの前作『These Dream of You(邦題:きみを夢みて 越川芳明訳)』の主人公たちである(なぜか妹だけ明確に名前が変わっている)。

 超強引に『きみを夢みて』の内容を説明すると、作家のザンは妻のヴィヴ、10歳の息子のパーカー、そしてエチオピアから養子として迎えた2歳の女の子シバの4人で暮らしていた。時はオバマが大統領に当選したシーンで始まるので2008年。妻のヴィヴはシバの実親の調査のためエチオピアに、他3人はロサンゼルスからロンドンに一時滞在するのだが…。そこでエリクソン得意の幻想文学が炸裂し、ロバート・ケネディとベルリン時代のデヴィッド・ボウイのお話になる、というもの。タイトルがヴァン・モリスンの曲名から取られているように、こちらも音楽ネタがかなり出てくる小説。

 一応、続編という扱いになるのかもしれないが、今作の中で家族の過去について説明されるシーンがいくつかある。それらのおかげで前作を読まなければ分からない情報はほぼないので、未読でも全く問題はない。

 もちろん、オバマ政権時に書かれた前作とトランプ政権時に書かれた今作とを比較して読む意義はあるだろう。

 

 

iii 巽孝之『パラノイドの帝国』大修館書店、2018年、214頁。

 

iv この一家が前作の主人公たちであることは脚注2で述べたが、前作でもジーマ(前作ではシヴァという名)は、身体から音楽を発する「ラジオ」である。

 

v 今でこそダンスミュージックはEDMに象徴されるように白人のイメージがあるが、元々のルーツは80年代にゲイの黒人が集まるシカゴのクラブで流れていた音楽「シカゴ・ハウス」だと言われている。

 

vi 二人とも85年にデビューし、ほとんどの作品が日本語に翻訳されている。しかし、エリクソンがいわゆる文学賞には縁がないのに対し、パワーズ06年に『エコー・メイカー』(黒原敏行訳で新潮社から刊行済み)で全米図書賞を、最新作『The Overstory』でピューリッツァー賞を受賞している。『The Overstory』は年内に新潮社から刊行予定らしい。