未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

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まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

Improvement by Joan Silber

  2017年の全米批評家協会賞と2018年のペン・フォークナー賞の受賞作。単語は易しめで227頁と、かなり読みやすい部類ではないかと思う。
 Joan Silber(ジョーン・シルヴァー? ジョアナ・ジルヴァー?)は1980年にデビュー作を発表、これまでに今作を含めて長編を五作、短編集を三作発表している。何度か全米図書賞や批評家協会賞のロングリスト、ファイナリストにはなっていたようで、今回でついに受賞に至る。これまでの作品は全て未翻訳。英語版のwikipediaもあっさりとしたことしか書いていない。書評などを読むと、彼女が2017年時点で72歳であり、「批評家向けの作家」であり、「アメリカのアリス・マンロー」であるといった情報が見つかる。今作が発表されるまでは、玄人向けでそこまで著名な作家ではなかったのであろう。
 

 人生とは不思議なもので、全く別の時期・場所で知り合ったAさんとBさんが実は昔からの友人だったり、ちょっとしたタイミングの違いで人生を左右する出来事が発生した、なんて経験は誰しもあるのではないだろうか。まさに"Stroke of Luck”「思いがけない幸運」というやつだ。そのワードが何度か出てくる『Improvement』は、人生の不思議を連作短編集のような構成で書いた小説になっている。
 

 
 本作は大きく三つの章立てがされているが、エピソードに応じて8つのナンバリングがされていて、そちらのほうが整理が簡単だと思う。
 主な舞台はニューヨーク。ハリケーン「サンディ」が迫っている2012年の秋だ。語り手はシングルマザーのレイナ。レイナの叔母にあたるキキがどれほどぶっ飛んだ人物か説明するところから小説は始まる。
 おおまかなストーリーとしては、とある事件が起きたことでレイナとその周りに大きな変化が起きる。それが叔母キキの過去など、人生の不思議が時間と場所を越えながら回り回って現代に舞い戻り、レイナのとある決断へと至る、という感じ。
 よって、頁数のわりには登場人物も出来事もかなり多いので、要約は難しい。以下の説明はあらすじのほとんどを書いたように見えるが、これでも「大枠」でしかない。
 

 
1
 キキは20代のとき(70年代)にトルコのイスタンブールを訪れた際に絨毯売りの男性オスマンと恋に落ち、そのまま現地で結婚する。しかし8年後、突然帰国。それからは様々な仕事をしつつ、自由に生きている女性だ。
 そんな叔母キキのことが好きだったレイナは両親とはウマが合わず、高校卒業後故郷のボストンからニューヨークへと出てくる。キキもニューヨークに住んでいたので二人は度々会うようになっていた。一人息子のオリヴァー(現在4歳)が生まれた時もキキはよくサポートをしてくれた。
 そんな二人だが、キキがレイナに関して良く思っていないことがいくつかある。増えていくレイナのタトゥー、そしてレイナの現在の彼氏、ボイドだ。
 
2
 ボイドは物語が始まった時点ではどうやら大麻か何かの不法所持で服役中。そのボイドがシャバに戻りレストランで働きはじめ、新しい生活が上手くいくかに思われた頃、ボイドはいとこのマックスウェル、その友人のクロードらとまた怪しいことを始めようとする。
 それが「タバコの密売」だ。州によって異なるタバコの税金を利用し、税金が安いバージニア州でタバコを大量に仕入れて、税金が高いニューヨークで売り捌きその差額を頂く、というものだ。レイナはボイドにそんなことからはもう足を洗ってほしいと思っているが、彼らは何度も密売を行う。
 そして、あるときレイナはボイドたちからトラックの運転手をしてくれないかと頼まれる。一度は引き受けたものの、出発直前に考え直し、車を降りたレイナ。そのままマックスウェルとクロードだけでトラックは出発、レイナは帰宅した。ボイドはそんなレイナに冷たくあたり、そのまま家を出て行ってしまい、二人の愛も終わってしまった。
 6日後にようやく会えたボイドから、レイナは衝撃的な事実を告げられる。レイナが降りたあと、クロードの運転するトラックが別のトラックと衝突、クロードは死亡、マックスウェルは一命は取り留めたものの重傷を負って現在も入院中だというのだ。すでにクロードの葬儀は済み、クロードの姉リネッタは完全に打ちひしがれていたという。そんな話を聞いて、レイナは不仲ではあったがリネッタが不憫でならない。そしてクロードには仕入れ先のヴァージニア州に恋人がいると言っていたが、その女性はどうしているのだろうか…
 というところまでが前半の大筋だ。ここまではレイナの一人称語りだったが、次章から三人称語りとなり様々なエピソードが次々と語られる。
 
3
 まず、クロードのヴァージニア州の恋人、ダリセのエピソード。ダリセもまたシングルマザーとしてヘルパーの仕事をしている女性だ。一人娘のジェショナ、終末期にある患者アマンダ、クロードの後に現われる男性サイラスとの日々が語られる。
 
4
 次はクロードの起こした交通事故の相手方のテディー。長距離トラックの運転手であるテディーは57歳。事故によってトラックはしばらく乗ることができないが本人は無傷で済んだ。このことをテディーは二人の女性に伝える。一人は妻リア。もう一人は最近関係が再開した元妻サリーだ。
 
5
 そして、約40年前のキキのエピソードになる。キキと夫のオスマンは結婚後しばらくしてからイスタンブールを離れて農業を始めていた。オスマンを愛してはいるが身体的にも精神的にも辛い生活が続くある夏の日、英語が堪能なドイツ人の若者(男2人、女1人)が農場に現われる。3人はトルコで骨董品を集めてヨーロッパに戻ってから売りさばこうとしていたのだった。彼等と久々に楽しい時間を過ごしたキキは、今の生活を抜け出したい気持ちが本格的に芽生えてきて、翌秋、ついにオスマンの元を離れて、ひとりイスタンブールに戻り悪戦苦闘の日々を送る。
(このあたりから非常に面白くなるのだが、詳しく書くとネタバレになるので、詳細は記事のラストに)
 
6
 キキのエピソードが終わると、ドイツ人の3人組がキキとオスマンの農場を出発した後どうなったのかが語られる。そのエピソードは70年代後半のトルコ、ベルリンから現代のニューヨークまで繋がっていく。
 
7
 舞台は2012年のニューヨークに戻る。ここで語られるのはモニカという女性のエピソード。モニカは幼少期をベルリンで過ごし、現在はメトロポリタン美術館でちょっと特殊な仕事をしており…
 
8
 最後は再びレイナの一人称語りになる。時系列的には2のあとだ。ネタバレになるので詳細はラストに。
 
 最後の8では、表紙にも書かれている「絨毯」(rug)が重要な役割を果たす。それはキキがトルコから持ち帰った数少ない品の一つで、今はレイナが持っている絨毯だ。それは同時にこの小説をも象徴している。
 これまで簡単なあらすじを書いていったが、そのいずれもが、人同士の繋がりだけでなく暗示的にも関連しあっている。それを読み進めていくことは、さながら編んでいく作業のようだ。
 例えば、3のダリセ、患者アマンダ、男性サイラス、娘ジェショナは、1と2のレイナ、キキ、ボイド、オリヴァーの関係性と対応する。ボイドたちのタバコの密売は、ドイツ人三人組による骨董品探しだ。一見、全く関係ないように思えるテディの章も、テディが昔の恋と現在を語ることが、キキの昔の恋への絶妙な導入になっている。そして、後半でこれまでのエピソードが絡み合い、絨毯が出来上がるというわけだ。
 
 ひとつ間違えてはいけないのは、今作のエピソード同士の関連は「伏線回収」とは少し異なることだ。
 今作への賛辞に(大抵、英語の小説の冒頭は様々なメディア・評論家・作家による賛辞が書かれてある)
「ジョーン・シルヴァーの『Improvement』には、常に余白がある―ヴァニティ・フェア
 というものがあったが、全く正しい評だ。確かに暗示的に関連しているエピソードはあるのだが、それはただの「暗示」であって、明確な解釈を提示しているわけではない。意外な人物同士が繋がっていることが分かっても、それを知るのは読者だけなので、小説内で急展開があるわけではない。文体としても淡々と語りがすすむだけであり、ラストの章以外にはビビッ!とくるようなフレーズもない。しかし、だからこその余白なのであり、読者はその余白に「微かだが、確かな何か」を感じることができる。
 ただし、ここが好き嫌いの別れる点であることは否定できない。物語にカタルシスを求めるような人にはサッパリで終わる可能性は高いだろう。しかし、張り巡らされた縁を、絶妙な力の抜き加減で書くのは、相当至難の技であるように思う。これこそがこの小説の最大の特徴だ。
 


以降ネタバレ

 
 さて、『Improvement』が大きく動きだすのは、やはりキキの過去が語られる5からだ。農場を訪れた骨董品を探すドイツ人三人組が、キキがオスマンの元から去るきっかけになったのは述べた通り。その三人組とは、ブルーノ、ディーター、そしてブルーノの恋人のシュテフィ。
 
6
 実は、ブルーノは旅の最中に何かとトラブルを巻き起こす恋人のシュテフィを内心ウザいと思っていて、関係は冷めかけていた。そんなあるとき、ディーターがシュテフィと関係を持ってしまう。ブルーノはシュテフィはもう用無しだからここに置いていこうと冷酷な主張をするが、ディーターは、俺がシュテフィを連れて行くということにする、だから三人でドイツへ帰ろうと説得する。そんなわけで再び三人での旅が続き、無事にドイツに到着する。トルコで仕入れた骨董品もそれなりに売れて、密売は成功を収めた。
 ディーターはそのままシュテフィとセックスフレンドなのか恋人なのか曖昧な関係を続けるが、次第にシュテフィのわがままについていけなくなってきた。そんなある日、ブルーノとディーターがたまたま入ったトルコ料理屋で、ディーターは別の女性とまさに運命的な出会いをする(Stroke of Luck!)。ディーターはその直後シュテフィと別れて、その女性と交際をスタートする。
 
 …そして五十代になったディーターは、仕事で初めてアメリカを訪れるためニューヨーク行きの飛行機の中にいた(!)。ディーターはトルコで会ったキキのことを考えていた。キキはまだトルコにいるのかそれともニューヨークにいるのか。もしキキに会えたら、私とトルコ料理屋で出会った女性、今は妻である女性との間に生まれた子供たちの写真を見せてあげたい。
 ディーターにとっての初めてのアメリカはあまりよい体験ではなかったが、メトロポリタン美術館は素晴らしかった。そこでは中東の品々が展示されていて、中には約40年前にディーターたちがトルコで仕入れてドイツで売りさばいたものとそっくりな品もあった。
 
 
7
 前章のラストで舞台が現代のニューヨークに戻ったところで、モニカという女性が出てくる。彼女は、2の交通事故で弟を失ったリネッタが働く眉毛専門美容院の常連客だ。(この時点ではまだ弟クロードは死んでいない)。二人の会話を挟みながら、モニカのエピソードが語られる。
 モニカの職場は、なんと6でディーターが訪れたメトロポリタン美術館であり、その仕事とは展示品の来歴を調べること(!)、つまり誰によって購入されたか、そのルートを調べることなのだ。それが盗難品だったとしても犯罪はすでに時効になっているが、「正義のために」調べているのだとモニカは言う。
 やがて、モニカの母はシュテフィであり、父はどうやらブルーノらしいということが分かる(結局ヨリを戻したんかい!)。モニカはすでに結婚しているが、シュテフィはそんな人とは別れてドイツに帰ってきなさいと言っている。
 そしてある日、ブルーノからシュテフィが心臓発作で倒れたとの電話がきて、モニカは急いでドイツへと向かう。ここでの母との交流は、やはりレイナとキキとの関係を彷彿とさせる(ともに娘のパートナーを認めない)。
 アメリカに帰ってきたモニカは事の顛末をリネッタに話す。帰り際にモニカはチップを渡そうとするが、間違えてユーロを出してしまう。(自分のように)間違えて海外のお金を出しちゃう人が他にもいると思うよ、と言うモニカに対して、リネッタは「私にそんなことをやろうとするバカがいたら同情しちゃうね」と答える(195頁)。
 
8
 そしてレイナの一人称語りに戻る。これまで時系列的には過去の話だったが、ここでようやく2のあとの話になる。つまりリネッタの愛する弟クロードが交通事故で死んだあとの話だ。
 ボイドとは別れてしまったレイナだが、彼らを知る別の友人(ママ友)づてに近況を知ることができた。リネッタはいつか自分の眉毛専門美容院を持つのが夢で、クロードはそんな姉のためにお金を貯めていたらしい。未だにレイナの家に残っているタバコの密売の売り上げ、これをリネッタに全部譲ろうと考える。しかしお互い仲が悪いので、リネッタは受けとらないかもしれない。そうして悩んでいたある日、レイナはリネッタがさらに酷い状況にいることを知る。事故を起こしたトラックはリネッタの名義になっていたので、それによってリネッタは借金を抱えてしまっているのだ。
 リネッタを救う方法、それはキキから譲り受けた絨毯を売ることだ。
 絨毯を売って手に入れた現金を、レイナはリネッタが好きなお菓子会社からの宅配ということにしてリネッタ宅に送る。リネッタからすれば、まさに"Stroke of Luck!”だ。それを元手にリネッタは故郷のフィラデルフィアに戻って自分の店を開くことに。ボイドはニューヨークに残ったが、交通事故から回復したマックスウェルはリネッタの経営を手伝うためにリネッタとともにフィラデルフィアへ向かう。
 絨毯を売ったことは誰にも言ってなかったが、さすがに息子オリヴァー経由でキキにバレる。しかし、キキは「あの絨毯をあげたのは、あなたがあれでやりたいことを何でもできるようによ」と言って、怒ったりはしない。レイナは「お金に困っている友人を救うため」と名前は伏せて目的も伝えたが、キキは、彼女がそれで救われてレイナに感謝しているのなら、それでよい、と器の大きなことをみせる(215)。
 ボイドだが、レイナは最後の一度だけ偶然彼と会う。しかしありきたりの「元気でね」といった"meaningless conversation about love”(223)を交すだけで終わる。ボイドの足に絡みつくオリヴァーをボイドは肩車するが、その姿を眺めるレイナの視線はとても切ない。
 小説の最後は、リネッタに付いていったマックスウェルから届いたメールで終わる。アドレス全員に一斉送信したのだろう、件名は「フィラデルフィアで最高の眉毛美容院、オープン!」だった。お店のサイトへ行くと、オーナーとしてリネッタの顔写真とコメントが載っている。それを見てレイナは満足するし、事故死したクロードも喜んでくれているはずだ。
 
 
 …このように、この小説は最後まで伏線回収をせず「暗示的に関連」するだけで終わる。ディーターは初めて訪れたニューヨークで40年前トルコの農場で会っただけのキキに再開したいと思うが、再開することはない。ディーターがメトロポリタン美術館で旧友たちの娘モニカと会うことはない。モニカは、展示品のひとつが30年前に両親が盗んだ品かもしれない、などとは気づかないし、両親が罰せられることもない。レイナはボイドとヨリを戻さないし、もちろんリネッタは自分を救う“Stroke of Luck”がどこから送られてきたのかは知らない。
 普通の小説ならば、これらの繋がりは伏線として回収されてしまうだろう。あえてそれをしないことは、ある意味でリアリズムの極致とも言えるかもしれない。
 この小説のように、我々も想像を越える様々な人たちと見えないかたちで繋がっており、それによって(良くも悪くも)様々な出来事が起っているのだろう。
 
 我々は決して一人ではないのだ。
 
 

 全く余談になるが、世界という複雑に織られた絨毯、これを「この絨毯を織っている誰かがいる」と解釈することもできるだろう。そして、その視点だけですべてを見るようになると、陰謀論に発展する。
 そのとき、その絨毯はレメディオス・バロの「大地のマント」になり、舞台は2012年のニューヨークから1960年代のカリフォルニアになり、主人公はレイナでもキキでもなく、エディパになり、タイトルは『競売ナンバー49の叫び』になるだろう笑。