未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

Infinite Jest まとめその4(121-198頁)

最初に書いておくと、約200頁まで行ったところでですがこれが最終回です。理由は一番最後に…。



ハル・インカンデンツァ その12(121-126頁)
(マリオ・インカンデンツァ今のところ最初で最後のロマンス)
時期:大人用下着年(Y.D.A.U.) 10月
人物:マリオ、ミリセント・ケント

概要
 ハルとマリオは夕食の前に一緒に散歩していたが、ハルが1人になりたがっていることに気づいたマリオは、適当な嘘をついてハルを行かせてやった。マリオは木と木の間を、一本一本立ち止まりながらゆっくり歩いていた。時刻は19時。西の建物の喚起口から、焼けた草の違法で甘い香りが立ち昇ってくる。マリオの靴の裏では枯れた葉がクシャクシャと音を立てていた。
 エンパイア・ウエイスト・ディスプレイスメント社のゴミ回収箱がヒューと音をたてて、弧を描きながら頭上を越えていった。
 マリオは西のコートの方へと続く木の道を歩いていき、藪と柳の中を抜けると、なんと16歳以下女子シングル1位のミリセント・ケントがいた。マリオは以前ミリセントの練習の録画に何度か立ち会ったことがあり、心のこもった「こんにちは」を交わしたことがあった。ミリセントはマリオに、林の向こうにハスキー4ブランドのテレスコープ・トリポッド(Huskey 4-brand telescoping tripod)を偶然見つけたのだと言った。しかし足跡も何かが林を通ったあとも、証拠は何もなかった。彼女は目撃者になってほしいとマリオの手を取り歩き出した。
 やがてミリセントはマリオを信用し打ち明けた。実はテニスが全く好きじゃないこと、本当に好きなのは創作舞踊なこと、でもその才能は全くないこと、それでも好きだからコートの外の時間は実家の自室の鏡の前でレオタードを着ていたこと、才能があったのはテニスで、授業料免除で全寮制の学校からオファーがあったこと、全寮制の学校に入りたくてしょうがなかったことを話した。彼女がE.T.A.に入学したのは9歳のときだが、それはただ父親から離れたい一心だっただ。彼女は父親のことを「オヤジ(Old Man)」と呼んでいた。最後に会ってから6年が立っていたが、とてつもない巨漢だったことは覚えていた。母が家を出てすぐ、シンクロナイズドスイミングを熱心にやっていたほうの姉が高校生で妊娠し結婚した。
 陽の光はバーベキューの木炭の燃えかすのような色になった。ミリセントは8歳のときの話をした。放課後の練習が早く終わり、レオタードを着て創作舞踏をしようと思いながら帰宅した彼女が見たものは、彼女のレオタードを着た父親の姿だった。ミリセントはマリオに、今まで女の子のアソコを見たことがある? と聞いた。卑猥で斑模様で毛むくじゃらの部分がはみ出てたの。でもオヤジはただの服装倒錯者(cross-dressing transvestism)じゃなかった。親類の服でないとダメだった。いつも不思議だったの、どうして姉さんたちのワンピースやフィギュアスケートの衣装が斜めにぶかぶかになっていたのか。オヤジは彼女が入ってきたことにしばらく気づかず数分間鏡の前で踊り続け、彼のニヤついた目が私の目と会ったの、彼女は言った。そのとき今すぐここから離れなきゃと思い、そしてマリオのオヤジの入試課の女性が突然声をかけてきたの。ま、運命みたいなものね。
 ミリセントはスマック(sumac:ウルシの一種で香辛料として使われる)の林で立ち止まると、スマックの毒で目眩がしてマリオの大きな頭を胸の辺りに抱きかかえた。淫乱な空気が漂う中、ミリセントはマリオの服を脱がせようとしたが、マリオにはハルが呼んでいる声が聞こえていた。そしてミリセントがマリオの下着に手を突っ込みペニスを探し回ったそのとき、あまりにくすぐったいのでマリオは大笑いしてしまい、その甲高い笑い声でハルは2人を見つけることができた。
 3人は寮へ戻る途中にトリポッドに遭遇した。森でもなんでもない道の真ん中で。


解説・用語
 マリオと、将来有望な女子テニスプレイヤー、ミリセント・ケントとのエピソード。「マリオは以前ミリセントの練習の録画に何度か立ち会った」というのは、54-55頁でマリオが練習の録画を任されたという経緯があったから。
 何気ない青春ものの1シーンかと思ったら、ミリセントのトラウマ的な過去の話になる。ミリセントの過去の告白に対してもマリオはややズレた返事しかしないのだがミリセントはマリオにかなり好意を抱いていたようで、最後は強引に事に及ぼうとするが未遂に終わる。


  • エンパイア・ウエイスト・ディスプレイスメント:原文は、
    “An Empire Waste Displacement displacement vehicle whistled past overhead, rising in the start of its arc, its one blue alert-light atwinkle.”
    「大文字なので固有名詞、会社名だろうか? displacement vehicleとは?」と検索をかけたらDFWのファンサイトにこれのイメージ図があったので紹介する。

    f:id:nakata_kttk:20200724135156j:plain:w200
    出典:tradepaperbacks.wordpress.com


  • ハスキー4ブランドのテレスコープ・トリポッド(Huskey 4-brand telescoping tripod):トリポッドは三脚のことで、要は三脚カメラ。さすがにマリオはこの手の事には詳しいらしく、機能などについてミリセントにかなり説明しようとして、ミリセントとの会話がズレてしまうのが面白い。



レミー・マラートその3(126-127頁)
時期:大人用下着年(Y.D.A.U.) 4月30日
人物:マラート、スティープリー

概要
 スティープリーは言う。「あいつらは『ジ・エンターテイメント』のコピーを持っているぞ。あと、その致死性に対抗するための〈対エンターテイメント〉も作っていた。マジだぜ。この話はあんたとF.L.Q.(ケベック解放戦線)にとっては面白い話だと思うが」
 「〈ジ・エンターテイメント〉の解毒剤としての対抗映像(anti-film)について、我々はバカみたいな噂という情報しかないが。あと、どうして君は生身の姿で活動することを許されないんだ? つまり、1年前は──黒人だっただろ?」
 「ハイチ人だよ」スティープリーは言った。「前回の俺はハイチ人だったんだ」
 A.F.R.の仲間内では、マラートはほとんど完璧な映像記憶(eidetic)の持ち主だと思われていたが、マラート自身はそうではないことを知っていた。

 何度かマラートはスティープリーに対して、アメリカを「壁に囲まれた国」と呼んでいた。


解説・用語
 109頁の続き。マラートとスティープリーのとても短い章。

  • ケベック解放戦線:脚注47で説明されていて、正式な名前はLe Front de la Liberation de la Quebec. A.F.R.よりも若く、喧嘩っ早く、効率的な組織。ケベックが実質的にはアメリカの支配下にあるという考えへの皮肉として、ハワイの文化を取り入れているらしい。

難解な単語

  • Les salles de danser:踊り部屋(Dancing Rooms)という意味だが、正確なフランス語は“danser”ではなく“danse”   総じてフランス語はスペルや文法などに間違いが多い。さすがにチェックはしていただろうし意図的だと思うが…。


ヨガの伝道師ライル (127-128頁)

概要
 E.T.A.のウェイトトレーニングルームにいつも座っているヨガの伝道師(グル)ライルが登場する章。どこから来たのかなぜここにいるのか知るものはおらず、他人の汗で生きるという強烈なキャラクター。


ヤク中3人組(128-135頁)

概要
 よほどの英語力か解説がなければ理解することは難しい章。発音に基づき単語(aisle→aile)が変化しつつ、(解説サイトによればボストン訛りの)口語で文法がメチャクチャになっている。以下、簡単な単語の意外な意味を覚えておくことで、ようやく話の筋が見えてくる。

・crewed→ギャングの中で活動すること
・boosting→盗むこと
・map→顔
・slope→アジア人への蔑称
・cop→ドラッグを摂取すること

 語り手とC, Poor Tony, yrsturlyという人物がドラッグを求める章。やたらと”Everything like that”が使われるのは語り手の口癖か。ドラッグストアから風邪薬(NyQuilというアメリカではメジャーな飲み薬)を盗んだり、追い剝ぎをしたりする。前半はRoy Tony(ロイ・トニー)という人物から、後半はチャイナタウンにいるDr. Woという人物からドラッグを購入する。ところがこのDr. Woから購入したドラッグが何か別のものが混ざった粗悪なもので、Cが身体中から血を流して死んでしまう。残されたPoor Tonyは田舎へ、語り手とyrsturlyは薬物依存の治療を受けることにする。

解説
 ロイ・トニーは〈ウォーディンへの虐待(37-39)〉で登場済。過去に殺人を起こしていて仮釈放中、恋人の連れ子(ウォーデン)に性的虐待をしていた人物。口語で非常に読みづらい文体も〈ウォーディンへの虐待〉を思い起こさせる。


ハル・インカンデンツァ その13(135-137頁)
時期:YDAU 11月3日

概要・解説

 三人称の語りに戻り、まずオリンがハルに電話をかける。「なんで俺が電話をかけるときハルはいつも声が枯れてるんだ?アレの最中だったのか?」「アレってなんだよ」から始まる短い会話。オリンはハルがマスタベーションをしているのではという意味だったが、実際はハルがドラッグでハイになっているのだった。オリンに電話で話す内容はだいたい6割ほどが嘘なのだが、実はオリンも同じようにハルに嘘を交えて伝えていた。夕食の時間だからと電話を切るハルだが、「ああ、ちょっと待ってくれ、俺は特別な人に会ったんだよ。ハルは分離派についてどれくらい知ってる?」「それってカナダのこと?」「他に何かあるか?」と、今後の展開を匂わせて終わる。


 空行を挟んで、別のシーンへ。

エネット・ハウスその1 (137-138頁)

概要・解説

 引き続き三人称でEnnet House Drug and Alcohol Recovery Houseというドラッグとアルコール中毒者の更生施設の話になる。
 その創設者は自身も元依存症患者で、AA(Alcoholics Anonymousアルコール中毒更生会)の施設で過ごしていた。そんなある日のシャワー室で、彼は突然悟りを開く(a sudden experience of total self-surrender and spiritual awakening)。この経験を他の患者にも伝えようと決心し、エネット・ハウスを開く。彼はAAでは匿名を名乗るというやり方を評価していたため、自身のフォーストネームすら明らかにしなかった。
 その創設者は新しく施設に入所する者に対し、入所したければ岩を食べろ(eat rocks)という要求をしたそうな(マサチューセッツ州の保健局から止められたらしい)。ユシチュ年、創設者は脳内出血で死去。68歳だった。

用語

  • ユシチュ年:簡単に「ユシチュ年(Year of the Yushityu)」と書いたが、正確には、”Yushityu 2007 Mimetic-Resolution-Cartidge-View-Motherboard-Easy-To-Install Upgrade For Infernatron/InterLace TP Systems For Home, Office Or Mobile”.
     2007という数字は西暦。”Yushityu”というワードは、〈ドン・ゲイトリーその1(55-60)〉の最後、発明品の羅列のところでも出てきている。

これ以降、年月日だったタイトルが変化し、変則的な章が続く。


保険会社に届いたメール(138-140頁)
時期:アメリカン・ハートランド社の日用品年(Year of Daily Products From the American Heartland

概要・解説

 怪我をしたレンガ職人(Dwayne R. Glynn)からのEメールが保険会社のスタッフ同士で転送され、その文面がアドレスや件名とともにそのまま小説内に書かれる。(Eメールをそのまま書く手法は『ヴィトゲンシュタインの箒』でも見ることができる)
 内容としては、レンガを上へと運ぶのに自家製の滑車を使っていたが、それが壊れてレンガの下敷きになり下半身に深刻な傷を負ったというもの。


ハル・インカンデンツァ その14(140-142)
(ハルが8年生のときに〈娯楽学入門2〉で提出したテレビ放送の終焉から4年後でありジェームズ・インカンデンツァ博士が亡くなった1年後であるパーデュー社のワンダーチキン年の2月21日に書かれた現存するハルの最初のエッセイで、非常に好意的な反応にも関わらず結論が本文の中で提示されていないだけでなく直観とレトリックだけで書かれていたため評価はB/B+だった)

概要

 『ハワイ5-0(Hawaii Five-0)』と『ヒルストリート・ブルース(Hill Street Blues)』という、それぞれB.S.1970年代、80年代の人気刑事ドラマシリーズの主人公を通してアメリカのヒーロー像の変化を考察する。
 『ハワイ5-0』では主人公スティーヴ・マクギャレットのみに焦点が向けられ、サブプロットなどの要素も薄く、スティーヴ・マクギャレットは古典的な〈アクション・ヒーロー〉で〈モダン・ヒロイズム〉といえよう。
 それに対して『ヒルストリート・ブルース』の主人公フランク・フリロは、複雑で企業的な当時のアメリカを反映し、その振る舞いも官僚的で〈リアクション・ヒーロー〉、そして〈ポストモダン・ヒーロー〉である。エピソードも複数の回に渡る伏線や様々な背景を持ったキャラクターが登場している。
 では次に何が来るのだろうか? 予言するに、ボーッとしていて、あまりに落ち着いていて、刺激とは無縁の〈ノンアクション・ヒーロー〉だろう。

解説
 長い副題の通り、ハルのエッセイがそのまま書かれている。『ハワイ5-0(Hawaii Five-0)』と『ヒルストリート・ブルース(Hill Street Blues)』というドラマとその登場人物、作風などは英語版Wikipediaを見たが改変はないだろう。2月21日という日付はDFW本人の誕生日であり、そこからこのエッセイはメタ・フィクションではないかとする解説サイトもある。
 ここで”B.S.”という用語が出てくる。もちろん”B.C.=Before Christ”のように、年の名称がオークションされる前のことを指すのだろうが、”S”が何なのかはまだはっきりしない。


ティープリーのエッセイ(142-144頁)
(〈ジャーナリスト〉〈ヘレン〉スティープリーが、カージナルスのオリン・インカンデンツァの紹介記事を書く以前のおそらく唯一の、そして古き良きボストンに関する唯一の記事で、大人用下着年の8月10日、光学理論家で起業家でテニス研究家でアヴァンギャルド映画監督ジェームズ・O・インカンデンツァが自分の頭を電子レンジに突っ込んで自殺した4年後に出版された)

概要
 『モメント』誌は、北アメリカ大陸市民で2人目となる〈外部人工心臓ジャービック9(Jarvik Ⅸ Exterior Artificial Heart)〉を身につけた女性を襲った悲劇が、人々の間であまり知られていないことを知った。その女性は46歳、ジャービック9をエティエンヌ・アイグナーのハンドバッグの中に入れていた。人工血管が彼女の腕を通って血液を循環させるのだ。
 悲劇は彼女がマサチューセッツ州のハーヴァード広場でウインドウショッピンをしているときに起きた。前科持ちのドラッグ中毒者で服装倒錯のひったくりが彼女のバッグを奪った。彼女はひったくった〈女性〉を通行人に助けを求めながら追いかけた。「あの人を止めてください! あの人は私のハートを奪っていったんです!(Stop her! She stole my heart!)」
 女性は4ブロック追いかけたところで力尽きた。ひったくり犯は人工心臓が未だ動いているのを見つけのだろう。しかし彼は小さい石かハンマーか何かで人工心臓を破壊し、その残骸が数時間後ボストン公立図書館の裏の通りで発見された。
 

解説・用語
 ハルのエッセイはまだ物語そのものと関連がありそうに思えたが、この記事はどうだろうか…。ただし副題は気になるところ。この執筆者のヘレン・スティープリーとはB.S.S.のヒュー・スティープリーのことなのか? そしてさりげなくハルの父、ジェームズの自殺の(衝撃的な)方法が明らかになっている。

  • ジャービックとは、補助人工心臓を開発した科学者ロバート・ジャービック(Robert Koffler Jarvik, 1946- )のこと。1982年にJarvik-7を患者に埋め込み手術をしたことで有名になった。ただし、Jarvik-9というモデルは存在しない。

  • ひったくり犯は服装倒錯ということだが、〈ハル・インカンデンツァ その12(121-126)〉での女子テニス選手、ミリセントの父親と同一人物なのかは不明。

  • 〈エティエンヌ・アイグナー〉は実在するブランド。


各団体の政治姿勢一覧(144頁

 唐突に、O.N.A.N.やケベックをめぐる団体がどういうポジションを取っているかの表が出てくる。フランス語だが、一部ミススペルがある。ここで初めて名前が出てくる団体もある。ここは本文を見ればおしまい。


ビデオ電話(Videophoney)の凋落(144-151頁)
(高機能だったビデオ電話が登場したとき最初はすごく市場からも大好評だったけど1年半もしたら急激に売上が下がってしまったわけだがどうして消費者は古き良き声だけの電話のほうに戻ってしまったのか?)

概要
 理由を簡単にまとめると、(1)感情的ストレス(2)身体的虚栄心(3)消費者のミクロ経済学におけるある種の奇妙な自己抹殺、である。
 昔ながらの電話のとき、利用者はいたずら書きをしたり別のことにも集中力を割くことができた。大事なのはそれが相手に気づかれないことであり、自分が何をしていようとも相手は自分との会話に集中しているだろうと信じることができたのだ。だがビデオ電話はそうはいかず、画面の向こうの人物に集中していることを伝えなければならなかった。そのことが非常にストレスなのだ。
 さらに悪いことに、ビデオ電話では自分の顔が画面(テレピューター)にどう映っているかを人々は気にし始めた。それはVPD(Video-Physiognomic Dysphoria:ビデオ人相不安)と呼ばれ、通信業界はその解決策として〈高精度マスク(High-Definition Masking)〉を売り始めた。電話をしているときに自分の顔を少し加工したマスクを被るというものだが、やがて顔だけでなく身体を覆うマスク〈2-D〉が現れ、その後ほぼ別人の顔とも言えるほど加工された顔を身につけるのではなくTransmittable Tableau(The Tableaux)が市場に登場した。しかしそこがピークだった。
 やがて人々はストレスに耐えられなくなり、やがてビデオ通話利用者は自分の顔を写すのをやめて、最後にはカメラに覆いを被せた。そのとき人々は気づいたのだ。相手の顔が見えない、古き良き電話がどれほど快適だったかを。しかし、通販など在宅で受けられるサービスが好調なことから、やはり多くの人々は対人コミュニケーションを苦手としていることがわかる。


解説
 技術革新についての章で、副題だけで1ページになる。テレビ電話がどうして一時的なヒットで終わってしまったのかという章だが、インスタグラム文化の現代で読んでこそという内容。是非とも原文でしっかり読んでもらいたい箇所。
 “Tableaux”は、64頁、ハルの父ジェームズが持っていた特許一覧の中に出てきている(Videophonic Tableaux)。


ハル・インカンデンツァその15(151-156頁)

概要
 年に4回、O.N.A.N.T.A.はランキング64位以上のジュニアテニス選手全員に尿のサンプルを提出を義務付けている。E.T.A.の生徒はかなりの人数がそのテストに引っかかる可能性があるので、選手たちはなんとかテストにパスするためにぺミュリス(とトレヴァー・アクスフォード)から清潔な尿を買うのだ。2人は3ヶ月間に渡って10歳以下の選手たちから尿を集めて、それをヴァイジン(Visine:アメリカでメジャーな目薬)の容器に入れて保管している。
 ぺミュリスのテニスのランキングは芳しくなく、実際彼の本当の才能はテニスではなく数学と科学(hard science)だった。またジェームズ・O・インカンデンツァの幾何光学を学んでもいたので、彼は先生たちが使う特殊なレンズや機器の使用許可を持っている2人のうちの1人でもあった。もう1人はマリオ・インカンデンツァだ。ぺミュリスはマリオと他の生徒たちとは違った絆で仲良くなり、またハルとも良い関係を築いていた。ぺミュリスはハルに、口語の授業を手伝ってくれることを条件に無料で尿を譲ってあげていた。友人とはいえペミュリスは貸しを作ることを嫌がったのだ。

解説
 ドラッグ中毒者が多いE.T.A.の生徒が、尿検査をどう切り抜けているかという章。とりわけ深く説明するところはなさそうだが…

  • Wienerman:ウインナーマン。つまりホットドッグを売る人。

ハル・インカンデンツァその16(157-169頁)

時期:B.S.1960年

概要
 ジム、息子よ。よく聞け。お前のかあさんはお前が生まれる前にカリフォルニアに戻ってきたのだ。息子よ。お前の母さんはマーロン・ブロンドと共演したことがあるんだ。母さんはマーロン・ブロンドに惚れていたかもしれないが、彼のことを理解してはいなかった。マーロン・ブロンドにはテニスのセンスがあったんだ。だが、私は知っている。お前もだということだ、ジム。お前は将来偉大なテニスプレイヤーになる。私は偉大に近いプレイヤーだったがね。
 君は10歳だ、そして科学の神童だ。そんな10歳の子には難しい話だと思うが、お前は〈身体〉なんだ、息子よ。ニューロンが運動しているだけで、君が考えていることというのは頭の思考回路が回転している音で、頭も身体なんだ。君は機械であり身体であり物体なんだ(you’re a machine a body an object,)。あのモントクレアに同じなんだ。お、あそこにクロゴケグモがいるぞ。さあラケットを持って優雅に舞ってあのクモを殺しておくれ。この共用ガレージにクモのためのスペースはないんだ。ああ、ここは身体ばかりだ。テニスボールは究極の身体なんだ、息子よ。完璧な球状で、中は真空、変化を受けやすい。ん、お前も飲むか? もう飲んでもいい年齢だろう。飲まないのか? いいか、君はテニス選手になるんだ、商売として、多くの身体に囲まれた身体になるんだ(A body in commerce with bodies)。俺は上手くいかないときこれを飲むんだ。あと息子よ、本は置いた方がいい。母さんからこの春にカリフォルニアに戻るって聞いたか? いまのうちに学校の人たちにさよなら言っておけよ。このトレーラーハウス専用の駐車場に来たときのお前はうろたえたもんな。父さんのせいだよな。父さんがお前と同じ年頃のときテニスを始めていたが、お前にとっておじいちゃんは全く試合を観に来なかったんだ。トロフィーを持って帰っても父さんがいないかのように振舞っていた。彼はゴルフだったんだ。彼がゴルファーだったんだよ。こっちに来なさい、これがJ・O・Iだ。母さんは欠かさず観に来たのに彼はずっと観に来なかった。でもある日、突然彼がやってきたんだ。あれは地方の小さな予選会の試合だった。彼の顧客の子供が出場していてそのために来たんだ。グロテスクなほど背が高くて一度も座らず、汗もかいてなかったよ。父さんは対戦相手、彼の顧客の子供を、文字通り叩き潰した。だが、ネットプレーのときに、クモか羊歯のどちらかがあったのだろう、足を滑らした。膝をやってしまったんだ。傷を見てみるか? 父さんはそのときに〈身体〉であることとはどういうことかを理解したんだ。


解説
 12頁に渡る独白。語っているのは誰か? その息子であるジムとは? もちろんインカンデンツァ一族であることは明らかで、〈ハル・インカンデンツァ その7(63-65)〉と照らし合わせて読む必要がある章。
 その〈ハル・インカンデンツァ その7(63-65)〉に戻って確認すると、ハルの父、ジェームズ・インカンデンツァが54歳で自殺したとある。この章のジムは1960年時点で10歳、つまり1950年生まれ。この作品の主要な時間軸は2000年前後であるので、ジムはハルの父ジェームズ、そして語り手はハルの祖父ということになる(そしてハルの曽祖父がJ・O・インカンデンツァという名前であり、曽祖父もまた”Himself”と呼ばれていることがわかる)。
 他にも〈63-65〉を読み返せば、ここで語り手が飲んでいるものは何か、10歳のジェームズに勧めた結果どうなるのか、この後一家がカリフォルニアに戻ってどうなるのか、といった「その後」が何となく掴めるようになっている。


用語

  • The Beats:ビート・ジェネレーションのこと。

  • 1956 Mercury Montclair:〈身体〉の例として語り手が挙げた車。

  • Latrodectus Mactans:クロゴケグモ。これは学名で一般的には”Black Widow”と呼ばれる。45頁のオリン・インカンデンツァのエピソードのところで、父親(ジェームズ)がクロゴケグモを異常に嫌っていたという記述がある

ハル・インカンデンツァその17(169-171頁)
(マダム・サイコシスその0


概要
 ぺミュリスはバスを何度も乗り継ぎ、ボストンの中心街へ向かった。もし尾行されていたときのためだ。彼が求めているのはDMZと呼ばれる凄まじい効き目のドラッグ。LSDを偶然発見したサンド製薬(Sandoz Pharm)で、B.S.1960年代の終わりにとあるカビから偶然生成された。
 DMZはボストンの地下ドラッグ愛好家の間で「マダム・サイコシス(Madame Psychosis)」と呼ばれていた。由来はMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生が運営するラジオWYYY-109でカルト的な人気を誇ったラジオパーソナリティーで、彼女の番組”Largest Whole Prime on the FM Band”は、マリオをはじめE.T.A.の落ちこぼれたちが熱狂的に聞いている番組だ。
 ぺミュリスはエネットハウスからバイトしにきている少年に門を開けさせた。ぺミュリスはE.T.A.に直接雇用している人物とは取引しないようにしている。寮に着くとぺミュリスはインカンデンツァ兄弟の部屋に電話をした。


解説
 ぺミュリスがDMZというドラッグを仕入れてくる章。「まえがき」を読む限り主要登場人物と思われる4人のうちの最後の1人、マダム・サイコシス(の名前)が初登場する。
 最後、電話をしたぺミュリスとハルが意味不明なやり取りをするのだが、どうやらドラッグを手に入れたという暗号らしい。

用語

  • DMZ:架空のドラッグだが、DMZとは本来”demilitarized zone”(非武装地帯)のことを指す。 ”Sandoz Pharm”は「製薬」と訳してみたが「サンド社」の方が良いかもしれない。サンド社は実在したスイスの会社で現在は合併されノバルティスという製薬会社となっている。原文で”Sandoz Pharm”をはじめLSDに関連する人物名・地名等はほぼ史実通りのようだ(LSDwikipediaの記事を参照した)。ただ、”utopian LSD-25 colony in Millbrook NY on what is now Canadian soil.”の箇所、LSD研究所があったニューヨークのミルブルック(ここまでは事実)がカナダの土地になっているのはもちろんフィクションで、「アメリカ領にあたる地帯がカナダに“gift or return”される(58頁)」のことを指すのだろう。


  • WYYY:実在するニューヨークのラジオ局。だが学生が運営しているということはないようだ。

  • Riverside Hamlet:ぺミュリスが電話をかけたときにハルが読んでいた本。Riversideとは出版社のことで、要は「リバーサイド版ハムレット」。解説サイトによれば定番らしい。実は『Infinite Jest』自体が『ハムレット』と重要なつながりを持っている。このブログの「Infinite Jestまとめその0」で訳した「まえがき」の最後にハムレットからの引用があるが、その引用箇所前後を原文を確認してみると…

ハル・インカンデンツァその18(172-176頁)
(『テニスと野生的な神童』ナレーションはハル・インカンデンツァ、11分半のデジタル・エンターテイメント・カートリッジ、録画・編集・脚本はマリオ・インカンデンツァ。ユシチュ2007…(中略)…年の若手映画監督コンテストで佳作賞を受賞)


概要
 これがグレイの生地にETAと書かれたシャツの着方だ。
 サポーターに慣れてゴム紐をきちんと調節するしなさい。これが怪我した踝をキツくガードするやり方だ。
 これが後に試合に勝つ方法だ。古いボールを持ってまだ誰もいない夜明けのコートへ行き、誰もいない相手コートに向かってサーブを打て。
 これがスティックの持ち方だ。ラケットをスティックと読むのさ、ここではね。伝統なんだ。ほら、こうやって持つんだ。西側のバックハンドスライス・グリップのことは忘れて。
 朝食前の練習が終わった後の特別個人練習をどうすればいいか教えてあげよう……これが野生的神童であることとどう付き合っていくかということだ……

解説
 “Here is …” “This is …” という出だしで次々とハルが語るのはE.T.A.での生活をどう生き残っていくかというもの。その中には父親(これまで通り”Himself”と呼ばれている)の話だったり、母親が22時までO.E.D.を読んで聞かせたり、”See yourself in your opponents”というシュティット的なテニス観が出てきたりするが、これといって新しい情報が出てくる章ではない。

用語


エネット・ハウスその2(176-181頁)

(常務取締役ミス・パトリシア・モンテシアンの口述記録、エネットハウス、13時から15時、大人用下着年11月4日)

概要・解説

〈ハル・インカンデンツァ その14(135-138)〉の後半で出てきたエネットハウスの住民たちにパトリシア・モンテシアンという人物がインタビューしていく、という構図。対話というよりは住民の独白が数十行のものから2-3行のものまで10個ほど続く。内容は、別の住民がテーブルを叩く音への文句だったり、アル中の定義を巡るものだったり、なかなか理解しづらいものが並ぶ。

 注目点は3つ目の独白に主要登場人物の1人と思われる”Gately(ゲイトリー)”という名前が入っていること。そして179頁下部「その少年は口唇裂だった」から始まる独白だ。「彼は蛇を飼っていた」「ドゥーシー」という内容から〈ウォーディンへの虐待(37-39)〉の後半のエピソードと完全に重なる。”He had a thing for Mildred. My girlfriend.”という記述をそのまま受け取れば、語り手はミルドレッドの恋人であったブルース・グリーンということになる。

用語

  • Kemp and Limbaugh:ともに保守派のアメリカの政治家。Kempは本作発表時の1996年に副大統領候補だった。

マダム・サイコシスその1、ハル・インカンデンツァその19(181-193頁)

時期:大人用下着年 前の10月

概要
 マダム・サイコシスの番組に直前に放送しているのは”Those Were the Legends That Formerly Were”という番組で、学生におかしなキャラクターの声真似をしてお話ししてもらうというものだ。
 WYYYのエンジニアはM.I.T.の学生が務めている。彼がブースから見つめる先に、マダム・サイコシスがいる。彼女の姿は三つ折りのシフォン生地のカーテンで隠れていてシルエットが見えるだけだ。マダム・サイコシスはギャラが発生している唯一のパーソナリティーで、自身のヘッドフォンとマイクを持ち込むことが唯一許されていて、カーテンもその中の1つだ。
 マダム・サイコシスの”Largest Whole Prime on the FM Band”が始まる。ほとんど彼女1人だけで進行し、ゲストが来るときもあるが紹介だけしてあとは何も喋らない。何か通底するテーマがあるとしたら、映画(film and film-cartridge)だろう。

 マリオ・インカンデンツァは熱心なリスナーの1人だが、母と過ごすため校長棟(”HmH”は“Headmaster’s House”の通称)へ行かなければならないときは、タツオカのチューナーを持っていくようにしている。アヴリルは人の頭部以外から発する声を聴くと気が狂ってしまう(the howling fantods)のだが、マリオの好きにさせていて、マリオは音をできるだけ小さくして番組を聴くのだった。マダム・サイコシスのアクセントはボストン訛りではない。南部の喋り方を忘れたか、発展させたかのような具合だ。彼女の抑揚のない喋りに合わせてかかる音楽は奇妙にも引き込まれる。マリオは一度会って話してみたいと思うが、同時に怖いとも思っている。
 マリオとハルは週に2回ほど校長棟で母アヴリル、叔父のC.T.と食事をする。食事の最後はプロテインたっぷりのゼラチンが出てくる。そして別れる際にハルが"make trouble"と言ってアヴリルが"Do not, under any circumstances, have fun"というおきまりのやり取りをするのだった。

解説
 実際はこの本筋に、WYYYがある建物をはじめとしたアンテナ事情、学生エンジニアの話、マダム・サイコシスの番組の詳細(彼女が紹介する映画、本)、アヴリルが大学を辞めて作ったE.T.A.のカリキュラムについて…などなど細かい話が付随する。その一部は医学系の専門用語の連続だったりとかなり難解。
 この章で姿を明かさないパーソナリティー、マダム・サイコシスが本格的に登場。マリオを筆頭にE.T.A.の学生もファンであるとのことで、やはり4人いる主要登場人物の1人ということなのだろう。
 最後の母子のおきまりのセリフ、どう訳せばいいのだろうか…。いや、どう訳すのだろうか…。


用語
 前述した通り、専門用語は数が非常に多く、全て説明するとキリがない。
 マダム・サイコシスが紹介する映画・本、著名人は、オズ(小津安二郎)、タランティーノ、ブレット(イーストン)エリスという馴染みのある名前もあるように、全て実在。
 マダム・サイコシスが流す音楽だが、「音楽は奇妙にも引き込まれる」についている脚注66で「親たちが午後の全てを歌詞の分析に費やすようにではなく、M.I.T.の学生たちは番組を録音して何度も曲を聞いて店や大学の資料館から探し出そうとした」としてR.E.M.Pearl Jamが挙げられている。もちろん実在のバンドで、両バンドとも歌詞が曖昧なことで有名。特にR.E.M.は80年代にネイティヴでも聴き取れない歌詞ながらカレッジ・ラジオで徐々に人気が広がっていったバンドなので、いかにもこの文脈にぴったりのバンドと言える。『IJ』発表直後のDFWを題材にした映画『The End of Tour』でもR.E.M.が使われている。

エネット・ハウスその3(193-198

概要・解説
 エネット・ハウス(Ennet House Drug and Alcohol Recovery House)の周辺について詳細に語っていく章。

 死んだ惑星の周りに浮かぶ7つの月のように、エンフィールド・マリーン・パブリック・ホスピタルの外側に7つの別棟(units)があって、その6つめがエネット・ハウスになっている。
 第1棟はベトナム戦争に参加したベテラン向けのカウンセリング。第2棟はヘロイン中毒のクリニック。第3棟は現在は空いているが、貸し出せるように準備をしている。第4棟はアルツハイマー病の患者。エネット・ハウスの窓から患者の様子を見ることができて、エネット・ハウスの住民たちを気が狂ったようにさせてしまう(the howling fantods)。第5棟は強硬症の、同じ姿勢を保ち続ける統合失調症患者。そして第6棟がドラッグ、アルコール依存症のリハビリを行うエネット・ハウス。そして第7棟は空。リハビリに耐えられなくなったエネット・ハウスの住民が薬物を持って第7棟に忍び込む。実はこの棟はE.T.A.が権利していて、家賃を払い続け、修理もせずそのままにしているだった。

 これらの棟を、エネット・ハウスのドン・ゲイトリーの視線を借りつつ三人称で説明していく。

用語
・VA:United States Department of Veterans Affairs(アメリカ合衆国退役軍人省)




 …とここまで読んで読破率が19.7%! ようやく5分の1!
 インカンデンツァ一家がどんどん掘り下げられてきて、ケベックを巡る陰謀も徐々に明らかになりつつあり、謎だったマダム・サイコシスとドン・ゲイトリーも登場してきて、これからさらに面白くなることは間違い無いのだが…ここでこの企画は終了です。

 なぜなら、非公式ながら『インフィニット・ジェスト』の翻訳が進んでいて、この辺りまではもうすぐ、そしておそらく来年には全て読むことが可能になりそうだからだ!素晴らしい!(インフィニット・ジェスト 翻訳で検索すれば出てくるはず)

 ここで終了とはいえ、極めて複雑な物語が軌道に乗るまでの解説としては十分役立つとは思う(多少誤読もあるとは思うが…)。海外ファンサイトの図解はもちろん、細かなネタの解説などはさすがに訳者もカバーしていないと思われるので(キリがない)、邦訳を入手したら復習を兼ねてこれまでのブログを参照していただけたらありがたい。もちろんこのブログではDFWの仕掛けの10%もカバーしていないと思うが…


予告をしておくと、次回はアメリカ人初のブッカー賞を受賞した、Paul Beatty(ポール・ビーティー)の『The Sellout』(2015年)を紹介します。