未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

The Sellout by Paul Beatty


 2020年8月23日、ウィスコンシン州ケノーシャで黒人男性が白人警察官に射殺されデモが発生、そして26日にはわずか17歳の白人少年がデモ隊へ向けて発砲、3人が死傷した。人種差別が色濃く残っているアメリカだが、今回紹介するのはまさに人種差別をストレートに書いた小説である。早速引用してみよう。


ローザ・パークスが白人に席を譲るのを拒否してから数十年後、ホムニィ・ジェンキンスは白人に席を譲りたくてウズウズしていた。(127頁・意訳)


 これを読んで私は思わず吹き出した。正確には「また」吹き出した。読みながら何度笑ったことだろう。その小説とはPaul Beatty(ポール・ビーティ)『The Sellout(裏切り者)』。2015年の全米批評家協会賞受賞作であり、2016年イギリスのブッカー賞受賞作でもある(ブッカー賞は近年英連邦以外の作家にも対象を広げ、ビーティが初の受賞)。

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 英語版wikipediaによると、現在ニューヨーク在住のポール・ビーティーは1962年生まれ。ロスアンジェルスで育ち、ニューヨーク市立大学ブルックリン校で創作の、ボストン大学で心理学の修士号を取得。その後、詩人として作家活動をスタート。最初の長編は1996年『The White Boy Shuffle』、4作目の長編『The Sellout』が各メディアで絶賛され、文学賞受賞となったのは上述の通り。
 作品は全て未翻訳。作風の特徴は第1作目から共通していて”satire”、つまり「風刺」である。冒頭の引用はどういうことなのか? まずは衝撃のプロローグをじっくり説明していこう。
 なお、全て一人称で、名前は明かされない語り手が主人公だ。


衝撃(笑撃)のプロローグ

 黒人男性からこう言われても信じることができないと思うが、私は盗みをしたことがない。税金を誤魔化したことも、トランプでイカサマをしたこともない。映画館に忍び込んだことも、ドラッグストアで多めにもらったお釣りを返さなかったこともない。他人の家に不法侵入したことも、酒屋を襲ったこともない。混雑したバスや地下鉄で優先席に座り、馬鹿でかいペニスを出してマスタベーションしたこともない。だが私は今、アメリカ合衆国最高裁判所の洞窟のような執務室の中にいる。(3頁

 とんでもない書き出しである。しかしその2頁後、読者はさらにリアクションに困る文に出くわす。

 動物園に行ったとき、霊長類の檻の前に立っていた私は、女性が驚嘆の声をあげるのを聞いた。400パウンドを越える一頭のゴリラが、刈り込まれたオークの幹に跨り、険しい視線を群れのゴリラたちに送っていて、その姿が「大統領のよう(presidential)」だと感動していたのだ。そして彼女のボーイフレンドが、ゴリラの説明が書かれたプラカードを指で叩きながら「大統領のような」雄のゴリラの名前が偶然にも「バラカ(Baraka)」であると指摘すると、彼女は吹きだして大笑いした。だが、口の中にビッグサイズのアイスキャンディーかチキータ社のバナナか何かを詰め込んでいる部屋の中のもう一頭の400パウンドのゴリラ、つまり私を見つけると、すぐに笑うのを止めた。(5頁)


 とりあえずこれで風刺小説とはどういうものか分かってもらえたと思う。ビーティはこのように「黒人のステレオタイプ」をこれでもかとユーモアを交えて書き連ねていくのだ。そもそも表紙に描かれた黒人男性のイラストも「ローン・ジョッキー」という黒人のステレオタイプの1つなのである。
 さて、語り手は最高裁に召喚されているわけだが、果たして誰と何を争っているのか。裁判長は読み上げる。

 「訴訟番号09-2606、私対アメリカ合衆国(Me v. The United States of America)」吹き出す声は聞こえない。クスクス笑いと、軽蔑の眼差しと共に「こんなことを考えたバカは誰だ?」という大声が聞こえただけだ。認めよう。「私対アメリカ合衆国」というのは少しばかり自分を誇張しているように聞こえる。でも他になんて言えばいいんだ? 文字通り、私は私だ(I’m Me)。別にロスアンゼルスの南東に定住した最初の黒人の1人、ケンタッキー・ミー(Kentucky Mees)の子孫であることを誇りにしているわけじゃない。(21頁)

 彼(裁判長)は知りたがっている。この現代において、どうやって1人の黒人が神聖な憲法第13条に違反し奴隷を所有したのか。どうやって私が意思を持って憲法第14条を無視し、ときには隔離政策(segregation)が人々を結びつけるなどと主張するのか。(23頁)

 何と黒人である語り手は奴隷を所有し、隔離政策を再導入しようとしたという2つの憲法違反で最高裁に召喚されているのだ。
 こうしてこの小説は、その2つの憲法違反の経緯を説明していくことで進んでいく。


あらすじ

 プロローグだけでかなり説明してしまったのであらすじをサクサク説明していくと…次の章から語り手は、時計の針を幼少期の頃へと戻す。
 語り手はカリフォルニアのディケンズという地区(ググっても出てこないので架空の街だろう)で父親と二人暮らし。彼の父親はまだアメリカには人種差別が根強く残っていると強く主張する心理学者で、語り手を通常の学校には通わせず自宅学習させ、ときどき自分の社会実験にも参加させた(そのエピソードがどれも笑える)。また、ディケンズの住民から”Nigger Whisperer(黒人の助言師)”という相談役を任されることが多く、みんなの溜まり場であったダムダムドーナッツ(Dum Dum Donuts)で人種差別に対する勉強会を開いて「ダムダムドーナッツ有識者会議(Dum Dum Donuts Intellectuals)」を設立した。

 あるとき、そんな父が(やはりと言うべきか)警察官に誤って射殺されてしまう。語り手が父から引き継いだのは賠償金と2エーカーの土地、そして渋々引き受けた「黒人の助言師」の役割だった。そして父の死から5年後、「ディケンズ」の名が地図から消えることになる。治安が悪いことで有名なディケンズの名前を消すことで不動産価値を高めようというのがその狙いだ。語り手は大学で心理学ではなく農業を学び、父の遺産である土地を使って農家として生計を立てる。
 一方、語り手の周辺も変化していく。まず語り手が子供の頃に仲良しだった高齢の元俳優、それも黒人のステレオタイプの役ばかりを演じてきたホムニィ・ジェンキンス(Hominy Jenkins)だ。語り手は彼が自殺しようとしているところを間一髪で助けて、そのとき以来ホムニィは語り手のことを「ご主人様(Massa:マスターの黒人発音)」と呼ぶようになる。もちろん語り手はそれを拒否するが、ホムニィはそれでも自分をあなたの奴隷にしてください、鞭で打ってくださいとお願いしてくる。 
 「ダムダムドーナッツ有識者会議」はフォイ・チェシャー(Foy Cheshire)が実権を握るようになり、語り手は出席はするものの発言は全くしなかった。フォイは大学で都市研究を学んだ後ディケンズで実地調査をしていた人物で、語り手の父と一緒に「ダムダムドーナッツ有識者会議」を設立した主要メンバーだった。フォイは語り手の父から様々なアイディアを盗用し、漫画をヒットさせたりテレビに出演したりなど富と名声を得ていたが、語り手の父は一向に気にしていなかった。
 そして今フォイは、過去の名作を差別的表現がないように全て書き換えようという計画を立てる。語り手はその行為に対して、”N-word”に秘められた様々な歴史を説明する勇気をもたないでどうするというのか、その上でいざ”N-word”が発せられたときにどうするのかと考える。そしてついに「”Nigger”よりも軽蔑的表現はあるだろう」と語り手は発言する。そんな語り手をフォイは”Sellout(裏切り者)”と呼ぶ。 そして語り手は「ディケンズを復活させる」と宣言する。参加者の多くがその計画を笑って相手にしなかったが、語り手は実行に移していく。
 語り手の幼馴染であり学生時代の元恋人のマルペッサは、ギャングスタ・ラッパーと結婚して今はバスの運転手をしていた。ホムニィの誕生日パーティーの一環として語り手は、「ここは優先席:年配の方、障がいのある方、白人の方にお譲りください」というステッカーをホムニィにプレゼント、マルペッサの運転するバスに実際に貼ったのだ。語り手に激怒したマルペッサだったが、うっかりそのシールを剥がすことを忘れたまま営業を継続すると、それ以来マルペッサのバスで犯罪が起こることがなくなった。それを知った語り手は「ディケンズの復活」と並行し「再隔離」を導入しようとする。


 以上が大まかなあらすじだ。極めてシリアスでセンシティブな内容を扱っているにも関わらず著者ビーティの的確な視点とユーモアのセンスがしっかりかみ合っているので、笑いながらスラスラと読めてしまう。2010年代に文学賞を獲得した黒人作家というと、日本でも翻訳が出たコルソン・ホワイトヘッド、ジェスミン・ウォードが挙がるだろうが、差別の核心に最も近づいて書いているのはビーティのほうだろう。
 しかし、実際に読んだ私がこの小説の面白さを十分に理解できたかというと、話は別だ。実際、半分も理解できなかっただろう。その理由こそ、この小説がまだ翻訳されていない理由ではないかと思う。

背景知識の多さ=翻訳の難しさ?

 風刺に限らず、コメディというのは現実や常識をズラしてそのギャップから笑いの要素が生まれるのであり、前提となる情報がなければ何がズレているのか分からない。そして『The Sellout』も同じ。この小説には黒人の歴史・差別に関するものを中心にアメリカの歴史・文化の膨大な情報(ネタ)が書かれており、そのほとんどが一般的な日本人には馴染みのないものばかりなのだ。
 メインキャラクターに関するところで挙げてみよう。

  • 最初に語り手が育てた作物はスイカだが、実は黒人蔑視の際に使われる代表的な食べ物がスイカである。

  • 元俳優ホムニィの代表作は、子役時代に出演した『Our Gang』(出演者の総称”LIttle Rascals”とも呼ばれる)というドラマシリーズであらすじにも深く関わってくるが、これは実在のドラマである。なおホムニィという出演者はいない。
     

 細かいところだとさらに多岐に及ぶ。例えばこの頁。丸で囲った用語に注目してほしい。

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8頁(見辛くて申し訳ない)

 “Al Gore”はそのまんまアル・ゴア、そして”Confucius”と”Lao-tzu”はそれぞれ「孔子」と「老子」の英語表記だとわかれば問題はないだろう。だが、以下の3つは知っていただろうか。

  • The Scottsboro Boys(スコッツボロ事件)
    1931年、13歳から19歳の9人の黒人少年たちが、汽車の中で2人の白人女性をレイプした罪で逮捕され最年少の少年を除いた8人に死刑判決が言い渡される。いくつもの不審な点があり、被害者の1人は嘘の証言をしたと発言するものの、最高裁の判決は9人のうち5人に懲役75年から死刑までの有罪判決を出す。しかし1946年までに全員が釈放、または脱走。

  • Dred Scott(ドレッド・スコット、1799-1858)
    19世紀中頃に自由を求めて裁判を起こした奴隷。1857年に最高裁で「アフリカ系の人間はアメリカ合衆国の市民にはなれない」という判決が下される。南北戦争の要因の1つにも挙げられている。日本語版Wikipediaには本人ではなく裁判(ドレッド・スコット対サンフォード事件)の項目があり、他にも色々なサイトがあるので詳しくはそちらを参照。

  • Plessy v. Ferguson(プレッシー対ファーガソン判決)
    1895年、人種隔離政策(racial segregation)は合憲であるとした判決。こちらも日本語でたくさんのサイトがあるのでそちらを参照されたし。

 たまたまこのページは黒人に関する重要な歴史的事件が集中していたが、次のページはどうだろうか。

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29頁

 “Watson and Rayner”と”Little Albert”は本文に書いてある通り、ワトソンとレイナーが生後1年に満たないアルバートに条件付けの実験をしたというもの(心理学用語は直接本文で説明していることが多い)。“Padst Blue Ribbon”はアメリカのビール。”Richard Nixon”と最後の”Watergate tapes”はニクソン大統領のウォーターゲート事件のことで説明不要だろう。解説が必要なのは、その間に挟まれた曲名と人名だ。

  • Sweet Home Alabama
    70年代に活躍したアメリカのロック・バンド、レーナード・スキナードが1974年に発表したヒット曲。歌詞を読めば一目瞭然だが、とある曲のアンサーソングとして書かれたことでも有名。

  • Neil Youngニール・ヤング
    60年代半ばから活躍するカナダのミュージシャン。経歴を書こうとすると20万字を越えるので省略。1970年に、南部では黒人への差別が残っていると糾弾した曲”Southern Man”を発表、1972年に似たような”Alabama”という曲も発表している。レーナード・スキナードの”Sweet Home Alabama”はこれらの曲を意識して書かれた。

 仮に曲名と人名を知っていても、その2つにまつわるエピソードを知っていなければ「ニール・ヤングに不思議な親近感を抱いた」が理解できない。私なんかはこれを読んでフフッとなってしまったが、クラシック・ロックに詳しくない人はなんとなくで読み飛ばしてしまうはずだ(実際それで何も問題ない)。

 この他にもいくつかの頁に書かれた音楽ネタがなかなか細かいところを見るに、私が気がつかないだけで様々なジャンルのネタが散りばめられているのは間違いないだろう。実際、29頁を読んで以降、私は大文字を全て調べることは諦め、細かいネタはスルーして読むことに決めた。それら全てを解説しようとすると…とてつもない脚注の量になるんじゃないだろうか。それこそ翻訳なんて無理と思ってしまうぐらいの。そもそも”Nigger”を始めとした多くの黒人英語をどう訳すかが難しい。まさか2020年にもなって方言っぽい日本語で訳すのも違うだろうし…。

 とはいえ、ピンチョンの長編はもちろん、今年はデヴィッド・フォスター・ウォレスの『フェデラーの一瞬』という脚注まみれの本も出版された(あれを訳した阿部重夫さんの仕事はもっと評価されるべき!)。『The Sellout』だってやろうと思えばできるはず! 
 というわけで、これを読んでいる3人の…多く見積もっても7人の出版関係者の方々が少しでも興味を抱いてくれるように、冒頭に挙げたような、個人的に好きなフレーズをどんどん挙げてみようと思う。なお、わかりやすくするためにある程度省略・意訳してある。


『The Sellout』のキラーフレーズ集

〜「アンダーラインを引くのを諦めたんだ。なぜなら腕が悲鳴を上げ始めたからね」ドゥエイン・ガーナー(ニューヨーク・タイムズ)〜


最高裁大麻を吸った語り手)
俺は今、最高裁で最高にハイになっている。
(I’m getting high in the highest court in the land)
(7頁)

あの人たちは何でもジャズに例える。出産はジャズのよう、モハメド・アリはジャズのよう、フィラデルフィアはジャズのよう、ジャズはジャズのよう、私以外はみんなジャズのよう…(略)私は”A Hard Day’s Night”イントロのコードの響きを聞いて以来、イギリスのギターロックが好きなんだよ。(16頁)

(「バイスタンダー効果」の実験をしたら正反対の結果が出てしまった語り手の父)
「すまんな、バンドワゴン効果を考慮に入れるのを忘れてたわ」(30頁)

(不正解すると電流が流れる「ヒップホップ世代における奴隷状態と服従度テスト」にて。黒人の歴史に関する難問を2問連続不正解したあと)
語り手「神に感謝したよ。3問目の答えは分かる。『ウータン・クランのメンバーの数は?』」(33頁)

もし父親が「時々、生後8ヶ月のコービー、ジョーダン、カリーム、レブロン(いずれもNBAのスター選手)、メイウェザー(ボクシングのスター選手)のことを考えるんだ…俺が彼らの父親だったらいいなってね」と言おうものなら、母親は大笑いして赤ちゃんとうんち塗れのオムツを父親に投げつけるだろう。(60頁)

我々は「母親のように育てる」男性のことは話すけれども、「父親のように育てる」女性のことは全く話さない。
(We can talk about a man ‘mothering’ a child. But we would never talk about a woman ‘fathering’ a child.)
(73頁)

ホムニィの主な出演作品
・Black Beauty ─ 馬の世話をする少年(クレジットなし)
・War of the Worlds ─ 新聞配達の少年(クレジットなし)
・Captain Blood ─ 船上の給仕少年(クレジットなし)
・Charlie Cham Joins the Klan ─ バスの給仕少年(クレジットなし)
(75頁)

語り手「ホムニィ、鞭で叩かれるのと(ディケンズの街の)標識を見るの、どっちが気持ちいい?」
ホムニィ「鞭は背中に染みますが、標識のほうは心に染みますなぁ」
(88頁)

フォイ「私は『ハックルベリー・フィンの冒険』の言葉遣いとプロットに手を加えた! そしてその新しいタイトルは『アフリカ系アメリカ人のジムと彼の被保護者で白人の仲間ハックルベリー・フィンによる、失われた黒い家族世帯を探す軽蔑的表現のない知的で精神的な冒険』だ!」(95頁)

語り手「そのタキシード、どこで手に入れたんだ?」
ホムニィ「50年代には黒人の俳優はみんな持ってたんですよ。スタジオが執事や給仕長の役を探してるときにこれでサッと現れると『おお! これで50ドル浮いたぞ! 採用だ!』ってなるわけです」(114頁)


ホムニィ「ご主人様、ご存知かとは思いますが、私の誕生日は来週なのです」
語り手「おお、いいね。ちょっと旅行か何かでもしようか。ところでお願いがあるんだけど、その子牛を出してくれないか?」
ホムニィ「動物の世話なんてしません」
(115頁)

(解雇されたという自称女優)
「私は主にテレビコマーシャルに出ていたんだけど、きつい仕事だった。プロデューサーが『あんまり郊外っぽくないな』って言うんだけど、それって業界用語では『ユダヤ過ぎる』って意味なの」(137頁)

「黒人女性が肌の色合いで表現されるのにウンザリなんだよ! これははちみつ色! あれはダーク・チョコレート色! 私の父方のおばあちゃんはモカ茶色、カフェオレ色! 何で白人たちにヨーグルト色とか卵の殻色、裂けるチーズ色とか言わないんだ?」(143頁)

ディケンズを地図上に復活させる計画の一環として、姉妹都市を結ぼうとする)
コンサル「もしもし、こんにちは。国際姉妹都市コンサルタントにお申し込みありがとうございます。ところで、ディケンズが地図上で確認できないのですが…ロスアンジェルスの近くなんですよね?」
語り手「かつては公式に街だったんですけど、今は占領されてます。グアムとか、アメリカ領サモアとか、静かの海(アポロ11号が着陸した月の場所)みたいに」
コンサル「つまり、海の近くということですか?」
語り手「そうそう、嘆きの海ね」


(中略)

コンサル「コンピューターがマッチングできそうな都市を挙げてくれました。チェルノブイリとフアレスです(※ボラーニョ『2666』の舞台にもなった世界で最も治安の悪い都市)
語り手「よし! それで行こう!」
コンサル「…残念ですが、拒否されてしまいました。フアレスは『ディケンズは治安が悪過ぎる』、チェルノブイリロスアンジェルス川の近くにある下水処理場の環境を問題視しているようです」
(146-147頁)

黒人男性が大統領に選ばれたからって、世界が俺たち(黒人)をどう見てるかは何も変わってない。実はむしろ悪い方向に進んでいる。なぜなら日常言語と俺たちの意識から「貧困」という言葉が消えてしまったからだ。白人の青年が洗車場で働き、ポルノ女優のルックスがかつてないほど綺麗になり、ハンサムなゲイの男性がヘテロのポルノに出演し、有名な俳優が通信会社や陸軍のコマーシャルに出演しているからだ。(261頁)




 これでもほんの一部だし、背景知識がわからないから見落としたユーモアもたくさんあるだろう。そしてこう見てみると、必ずしも黒人の問題だけを取り上げているわけではないことがわかる。黒人の問題とは差別の問題であり、ひいてはアメリカ建国の理念の問題である。オバマ大統領が当選してこれで差別の時代は終わったと多くの人が思った。そんな中で、ビーティは語り手を通して「人種差別後の時代に、人種差別を囁いた(I’ve whispered ‘Racism’ in a post-racial world)」のだ(262頁)。そして2020年現在のアメリカはどうなっているだろうか?

 後半、物語の時計の針は現在に追いつき最高裁のシーンへと戻る。アジア系とアフリカ系の血を引く女性の司法長官は言う。

 彼は、私たちがアメリカ人として「平等を理解している」と主張するやり方の、基本的な欠点を指摘している。「肌の色なんて気にしない。あなたが黒だろうと白だろうと茶色だろうと黄色だろうと、赤、緑、紫だろうと気にしない」私たちは皆そう言う。だが、もしあなたが私たちの誰かを紫や緑に塗ろうものなら、私たちは凄まじく怒り狂うだろう。彼がやったことはこういうことなのだ。住民とコミュニティを紫と緑で塗り、まだ平等を信じているのは誰かを見たのだ。(266頁)

 ちなみに小説の最後では、判決がどうなったのかは分からない。天気予報にディケンズの表記が復活する。ホムニィはある目的を達成すると奴隷を辞める。フォイは破滅する。これらはネタバレだがある意味ではネタバレではない。上記の曖昧な司法長官の言葉、ラストのオバマが大統領に就任した日のたった1頁のエピソードからわかるように、この小説は結末よりもその過程のほうが大事だからだ。

 そのたった1頁のエピソードがどんなかって? どこか翻訳して出版してくれー!!