未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

「現代のジョイス」が書いた1000頁を越える伝説のメガノベル(Infinite Jest by David Foster Wallace)

 編集者である知人Mがこんな話を聞かせてくれたことがある。Mがとある寿司屋に入り、たまたま隣に座ったアメリカ人と話してみると、なんとそのアメリカ人は学生時代にポストモダン文学を専攻、しかもトマス・ピンチョンを研究していた人物だった。Mは自分がリチャード・パワーズのファンであること、パワーズ作品の魅力を熱く語ったのだが、そのアメリカ人は「ごめん、パワーズって誰?」と答え、最近の好きな作家としてジョナサン・フランゼン、そしてデイヴィッド・フォスター・ウォレスの名を挙げたという。

 邦訳が少なく日本の読者にとって未知の存在、しかし本国では現代を代表する大物作家、デイヴィッド・フォスター・ウォレス(David Foster Wallace, 以下DFWと略す)。そのDFWの代表作であり、アメリカにセンセーションを巻き起こし未だに読み継がれる小説こそ、1996年に発表された1079頁のメガノベル、Infinite Jest(インフィニット・ジェスト)だ。
 「『インフィニット・ジェスト』を頑張って読みつつその凄さと面白さを紹介したい…」と思い、当ブログ内で「Infinite Jestまとめ0〜4」を掲載(200頁まで精読)していたのが2019年12月から2020年7月。そして今年2月から再開し(精読はせずにとにかく読み進め)、この6月についに読了! 長年の宿題からやっと解放された気分である。

 さて、「Infinite Jestまとめ0」でも書いているが『インフィニット・ジェスト』については桑垣孝平「戸山翻訳農場」というサイトで既に紹介されている。「先に書いておくがネタバレする」と書いてあったので、キッチリ全て読み終わったあとに記事を読んだのが……DFWの対談やファンサイトの情報も網羅し、タイトルの深い解釈までまとめた内容の前では、もはや私が書くことは何もないようだ。
 いや、まだ書くことはある。なぜなら『インフィニット・ジェスト』は他のメガノベルと同じように読者の数だけ読み方がある類の小説であるからだ。そしてまだ読んでいない人のために、(致命的な)ネタバレを避けながら本書について紹介してみようと思う。そして、本書には本質的な意味において「ネタバレは存在しない」ことを説明してみたい。


デイヴィッド・フォスター・ウォレスの基本情報

 まずはDFWについて。これについても当ブログ「Infinite Jestまとめ0」でも説明しているが、一応改めて簡略に説明しておこう。
 デイヴィッド・フォスター・ウォレスは1962年生まれ。大学で哲学と文学を学び、24歳でThe Broom of the System(『ヴィトゲンシュタインの箒』講談社 宮崎尊 訳)で作家デビュー。大学の創作科で教えながら34歳の1996年に『インフィニット・ジェスト』を発表。エッセイ・短編・ノンフィクションを発表しつつ、3作目の長編The Pale King執筆中の2008年に自殺。長年双極性障害に悩まされていたという。享年46歳。
 DFWの作品はいくつか日本語に訳されているが、そのほとんどが絶版、あるいは文芸誌やアンソロジーに収録されたもので、図書館に行かなければ手に取りにくいのが現状だ。2022年6月現在、容易に入手可能なのはテニスのエッセイを集めた『フェデラーの一瞬』(河出書房 阿部重夫 訳)と、大学でのスピーチを収録した『This is Water(これは水です)』(田畑書店 阿部重夫 訳)の2冊であろう。

 DFWの作品を実際に読んでみるとすぐにわかるのだが、ピンチョンやパワーズ同様、DFWの文章は非常に難解だ。これについては『すばる』2018年9月号に収録されたDFWのエッセイConsider the Lobster(『ロブスターの身』)の解説で、訳者である吉田恭子が非常に的確にまとめているので、そのまま引用したい。

 ことばだけを通して事象を読者に伝えようとするくどいほどのこだわり、脚注を単なる補足としてだけでなく、直線的ナラティヴを解体し脱線によってトーンやペースを自在に制御しつつ作品に劇的な効果をもたらす仕掛けとして用いる先述、衒学的な学術用語とやたらと頭の回転が速い若者が気ままに喋っているかのようなのびのびとしたことば遣いを絶妙に掛け合わせた文体、時として戯画的なほどのコミックセンスに皮肉とユーモア(『すばる』2018年9月号、299頁)

 『インフィニット・ジェスト』もまさにこの形容が当てはまる。「Infinite Jestまとめ」を掲載していた頃、私も数行に渡る長文と格闘し、英英辞書を調べ、それでも見つからなければファンサイトで調べ、脚注にだけ書かれた重要な情報に驚嘆し、様々なトーンで書かれたいくつものエピソードに笑い、心を揺さぶられ……ミチコ・カクタニがDFWを称したあの言葉を理解したのだ。

 「この達人的才能を持った作家に書けないものはないようだ」

自宅用と職場で暇なときに読む用
(解説である「まえがき」以外、中身は一緒)


インフィニット・ジェストのあらすじ(ネタバレなし)

 『インフィニット・ジェスト』の時代設定は執筆当時の90年代から見た近未来の、高度資本主義がさらに発達した00年代後半と推測される。なぜ推測なのかというと、西暦の代わりに使用する年号が毎年オークションされていて、“YEAR OF THE ◯◯◯◯ ” と表記されているからだ。
 アメリカはメキシコ、カナダと“Organization of North American Nations(O.N.A.N)”という「超国家(supernation)」を成立させ、人々は電話、テレビ、コンピュータ、そして「カートリッジ(Cartidge)」と呼ばれる映像娯楽のプレーヤー、それら全ての機能を兼ね備えた「テレピューター(Teleputer or TP)」で各々好きなコンテンツを消費し続けている。
 そしてマサチューセッツ州にある架空の街、アンフィールド(Enfield)にあるテニスアカデミー「アンフィールド・テニス・アカデミー(E.T.A.)」と、その麓にあるアルコール・ドラッグ中毒者の更生施設「エネットハウス(Ennet House)」が主な舞台となる。
 
 主要登場人物は以下の4人、見方によっては3人か。正確な言い方をすれば、以下の人物を中心にするとストーリーの筋が追い易くなる。

 まず、E.T.A.に所属する優秀なジュニアテニス選手であり辞書を丸暗記するほどの天才でもある、ハル・インカンデンザ。実はハルは隠れて大麻を吸うことが習慣になっており、ハル同様多くのE.T.A.の所属選手が何らかのドラッグ中毒になっている。
 ハルの父ジェームズはE.T.A.の創設者だが既に亡くなっており、文法学者だった母アヴリルが弟のタヴィスと共に現在のE.T.A.の運営を担っている。ハルは三兄弟の三男で、長男オリンは元ジュニアテニス選手だったが現在はプロのアメリカン・フットボールの選手、次男マリオは障害を抱えながらE.T.A.の寮でハルと同じ部屋に住んでいる。
 E.T.A.を舞台にした語りはこのインカンデンザ一家を中心に、E.T.A.に所属する様々なジュニアテニス選手が入れ替わり立ち替わりして進んでいく。

 更生施設エネットハウスの中心となるのは、侵入の達人だが心優しい人物でもあるドン・ゲイトリー。ドラッグ中毒のドン・ゲイトリーは様々な家に不法侵入を繰り返していたが、とある出来事をきっかけにエネットハウスに入ることにする。
 ドン以外にも、小説の前半部で様々なドラッグ中毒者のエピソードが唐突に始まるが、それらは皆エネットハウスに集うことになる。

 マサチューセッツから遠く離れたアメリカ南西部、アリゾナの砂漠の夕焼けを見つめるのがレミー・マラート。車椅子暗殺者と紹介されるマラートは、同じような謎のエージェントとアメリカとカナダを巡る陰謀の話をする。この2人は一向に砂漠から動こうとせず、夕焼けはやがて朝焼けへと変わっていくのだが、前半部における彼らの役割はさながら狂言回しに近く、前述したO.N.A.N.など『インフィニット・ジェスト』全体の設定や、観ると画面から目が離せなくなりやがて死んでしまう謎のカートリッジ、通称「ジ・エンターテインメント(The Entertainment)」の情報を読者に提供する。

 そして最後の1人が、学生ラジオの人気DJとして紹介されるマダム・サイコシス、またの名をジョエル・ヴァン・ダイン。彼女もやはりドラッグ中毒でエネットハウスに入ることになるのだが、実はインカンデンザ一家とも繋がりのある人物で、エネットハウスのストーリーとE.T.A.のストーリーとを繋ぐ役割を持つ。
 
 
 ご覧の通り、登場人物のほとんどがアルコール、ドラッグ、セックス……何らかの依存症に陥っている。謎のカートリッジ「ジ・エンターテインメント」にまつわる陰謀が密かに展開する中、様々な中毒者の笑いあり涙ありの無数のエピソードが超絶技巧の1000頁ノンストップで展開されるのが、『インフィニット・ジェスト』だ。


 DFWのインタビュー集David Foster Wallace The last Interview(Melville House, 2012年)の冒頭には、『インフィニット・ジェスト』発表の1ヶ月後(96年3月)に行われたインタビューが載っており、そこでDFWは、アメリカ人の悲しみを、物質的・経済的なものではなく腹の奥底からの悲しみ(stomach-level sadness)を書きたかった、と発言している(6頁)。
 E.T.A.の生徒たちは、厳しい練習の毎日に耐えながら卒業後に”The Show”と呼ばれるプロテニスの世界に入っていくことを期待されている。しかし実際にプロテニス選手になれるのはほんの一握り。隣で一緒に汗を流している仲間を蹴落としていかなければならない。さらに海外を転戦する一流選手になるには、今以上の苦しみが待っている。一流選手になれたところで敗北と嫉妬の恐怖から逃れられない。さながら檻の中に閉じ込められたようなもの。その孤独に安らぎを与えてくれるのは、ドラッグだけ。
 E.T.A.は常に競争にさらされる新自由主義を象徴していると言えるが、現代はあらゆる人々が孤独を感じ、ドラッグやアルコールだけでなく、さまざまなモノ・コトに依存しながら生きている。終わりのない無限の欲求。そのエンドレス・パーティーは空虚でどこかジョークのようでもある。まさにInfinite Jest(無限の戯れ、道化)だ。

 では、謎のカートリッジ「ジ・エンターテインメント」について説明しながら、本書についてもう少し深く入り込んでみよう。


無限の読書体験

 それにしても『インフィニット・ジェスト』は読みづらい。前述のとおり、語彙が難解なのはもちろんなのだが、そもそもの英文の難易度がえげつない。阿部重夫や桑垣孝平が書いているように文法的には正しいに違いないのだろうけど、翻訳家・研究者のような専門家レベルの英語力がなければスラスラ読むことはできないだろう。私は何度なんとなくで読み飛ばしただろうか……。
 そして1079頁という数字でわかるように、とにかく長い。まさに「ことばだけを通して事象を読者に伝えようとするくどいほどのこだわり」であり、DFWこそ文章を書かずにはいられない中毒症状になっているのではないかと感じてしまう。あまりに長すぎるゆえ全体像も掴みづらい。重要な人物であるマダム・サイコシスについて初めて言及されるのが170頁、実際に登場するのはもう少し後なわけだが、一般的な長編小説の長さならそこに到達するまでに完結している。

 しかし「ポストモダン文学あるある」とでも言うのだろうか、物語の構造について自己言及するような箇所がある

 作中とある映像作家が紹介され、その作風として”nondramatic ('anti-confluential') ”という言葉が使われる。confluent(合流する)からの造語で「反合流的な」とでも言えるか。その実験的すぎる作風について「致命的な弱点はプロット」(375)など度々言及がある中、この映像作家が最後に作ったものこそ、観ると死んでしまう謎のカートリッジ「ジ・エンターテインメント」であり、その正式なタイトルはなんと「インフィニット・ジェスト」。この自己言及から分かることは、この小説がひとつひとつのエピソードは面白くても全体像が掴みづらい(構造が特殊)のは初めから「反合流的」な物語を意図しているからで、おそらくはピンチョン『重力の虹』やボラーニョ『2666』のように明確なエンディングも用意されていないのだろう、という推測もできる。
 だが、残り100頁というあたりから物語はそれまでとは全く予想できない方向に進んでいき、”abandonment of anticonfluetinalism”(944頁)という言葉も出てきて……さすがにそれ以上は書けないが、『重力の虹』『2666』がそうであるように『インフィニット・ジェスト』も読了後すぐに読み直したくなる衝動に駆られ、一回目では気が付かないいくつもの仕掛けに驚愕し、そして何度も読み直してしまう……まさに作中の謎の映像作品「インフィニット・ジェスト」のごとく、一度読んでしまうとそこから目を離すことができなくなってしまう、そんな本なのだ。

 桑垣孝平も書いているように、この作品の魅力は無数のエピソードの集積である。虚弱体質でラケットを持つことすらできないマリオ・インカンデンザとスパルタ教師との不思議な友情、負けたらいつでも死ねるように片手で銃を頭に押しつけながらテニスの大会に出場し快進撃を続けたエリック・クリッパートン、元芸能人でアメリカ大統領になってしまったジェントル大統領……魅力的なキャラクターたちと、あちこちに張り巡らされたいくつものキーワード(例えば1頁目で動詞として使われる「蜘蛛(spider)」)、エシャトン(Eschaton)と呼ばれる奇妙なゲームの意味、そして”Infinite Jest” という言葉の引用元である『ハムレット』との比較、注意しなければ重要な情報を見逃してしまう膨大な脚注……それらバラバラの要素が奇跡的なまでに小説として成立しているのは、どの頁を開いても作者であるDFWの閃きが感じられるからだ。彼は言語表現と小説の可能性に挑み、その拡張に成功したのだ。この意味で、DFWに最も近い先行作家は、ピンチョンよりもジョイスではないかと思う。
 まさに『インフィニット・ジェスト』は無限の読み方と魅力を秘めた小説であり、だからこそ要約は不可能で、同時にネタバレという概念も存在しないのだ。



*余談その1

 私が200頁までの概要をチャプターごとにまとめた「Infinite Jestまとめその1〜4」だが、今読み返してみると”The Great Concavity”や「ジ・エンターテインメント」に関する情報など、作品全体に関わる重要な設定が200頁までにほとんど出揃っているので、原文で読もうとしている場合に理解の補助となるのは確かだと思う。


*余談その2

 E.T.A.で行われるエシャトン(Eschaton)という奇妙なゲーム、私は読んでるとき全くイメージできなかったのだが、The Decemberistsというバンドの"Calamity Song”という曲のMVがそのエシャトンを忠実に再現している。エシャトンの件に入ったら観てみるのが良い。