未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

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まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

ジェスミン・ウォードの新境地(Let Us Descend by Jesmyn Ward)

 ジェスミン・ウォードが現代アメリカ文学を代表する1人であることを否定する人はまずいないだろう。『骨を引き上げろ』(2011)と『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』(2017)で全米図書賞を2度受賞。これまで同賞を複数回受賞した作家は全員「白人男性」であり、「非白人」としても「女性」としても初の複数回受賞作家となったのがウォードなのである。日本では、まず『歌え〜』から出版順を遡る形で『骨を〜』、2008年のデビュー作『線が血を流すところ』まで邦訳された(いずれも作品社で、訳者は石川由美子)。

 さて、そんなジェスミン・ウォードが『歌え〜』以来の長編Let Us Descend を2023年に発表した。ウォードはデビューから一貫して架空の現代の街ボア・ソバージュを舞台に書いてきたが、今作の舞台は奴隷制が残る時代、カロライナの農場だ。

全300頁だがフォントは大きめなので、邦訳されたら前2作よりは短くなりそう

あらすじ

 物語は農場で奴隷として暮らしている母娘の「特訓」から始まる。語り手のアニスは小さい頃、母から木の枝を削って作った「槍(spear)」を渡された。母も(アニスの)祖母が作った槍を持ち、「これは私たちだけの、誰も奪うことができない秘密」(2)と言って、アニスに槍の使い方を教える。
 そのあとも、母はアニスに色々なことを教える。戦い方だけではなく、薬草の知識、農場の主からレイプされアニスを孕った話、そしてママ・アザ(Mama Aza)と呼ばれる祖母の話だ。ママ・アザはかつて「王の妻であり戦士」の1人だったが、王以外の男性と恋に落ちた結果、王によって奴隷として売られ、アメリカに連れてこられた。

 ママ・アザの闘い方や物語を知ることは──別の世界、別の生き方を思い起こすことなの。その世界は完璧な世界ではなかったけれど、この世界ほど間違ってはいない。(16)

 間違っている「この世界」とは、もちろん奴隷制度のことだ。そんな母が他の場所へ売られることになり、アニスと母は離れ離れになってしまう。悲しみに沈むアニスは同じ農場で暮らすサフィ(Safi)と愛情に満ちた関係となる。やがてアニスもサフィとともに売られることとなり、二人は過酷な移動を強いられる。男性は鎖で、女性はロープで繋がれ、目的地へとひたすら歩き続ける日々。
 ある夜、休憩しているときに白人の1人がサフィだけをロープから外し、森に連れていきレイプしてしまう。サフィが戻ってきたとき、白人はサフィのロープを軽くしか結ばず、脚がロープから外れそうになっていた。それに気がついたアニスは、サフィに逃げろと言う。サフィはアニスの強い言葉に促され、アニスの掌にキスをしたあと、森の中へと駆け出す。
 その数日後の朝、痛みと悲しみで目が覚めたアニスの前に、雲のようなスカートを履いて宙に浮く女性の姿をした“魂”が現れる。その魂はアニスに言う。「私を呼ぶあなたの声が聞こえたのだ」「私のことはアザと呼びなさい」(66)
 しかし、母から聞いていたママ・アザの身体的特徴とこの魂の姿は一致しない。この魂はなぜアニスの前に現れたのか? なぜこの魂はアザと名乗っているのか?
 こうして、アザに見守られながらアニスは地獄の日々を生き抜いていく。


母・ヴードゥー・水

 前2作と設定こそ異なれどまったく関連がないわけではない。ウォードを日本語で論じたものとして最適な論考が、ハーン小路恭子の『アメリカン・クライシス』(松柏社, 2023年)の「エコロジーをダーティにせよ」だが、そこでハーン小路は「母の否定性」「ヴードゥーとエンパワメント」といった観点からウォードの前2作を論じている。今作でもアニスをはじめ多くの登場人物が母の不在を余儀なくされており、アザの言葉を通して母や過去の悲劇と繋がりつつ、必死に生きようとする。
 「ヴードゥー」に関しては『歌え〜』との関連が明確だ。『歌え〜』でも重要な要素だった薬草の知識は本作でも継承されており、アニスに進むべき道を告げる“魂”アザは、『歌え〜』での幽霊を彷彿とさせる。さらに、後半に進むに連れて重要性を増していく“The Water”だ。

 水とはすべての魂のこと。私とあなたの前、すべての前に、水があった。私たちは水からやってきて、水へと戻っていく。水だけがすべてを知っているが、自ら語ることはない。(……)予知する者は、遠くを見ながら、できる限り水の流れを読む。(……)それら予知する者だけがわかっているだろう、船から投げ出された者たち、船から身を投げた者たち、海の底に沈んだ者たちが、その深さとともにいることを、そしてその沈下のあと、歌うであろうことを。(125-126)

 このイメージは、『歌え〜』での、

「ウロコの鳥が風にもまれながらおれを連れて渡ってくれる水の音が、すぐそこに聞こえている。(……)そして詞のない歌を口ずさむ。水の音といっしょに空気にのって運ばれてくる歌を」(263-264)

 という場面を彷彿とさせる。
 このようにウォードがこれまで書いてきた要素は、本作にも脈々と「流れて」いて、過去作とも「共鳴」している。

抵抗の物語

 『骨を引き上げろ』付録解説で青木耕平が取り上げているウォードの文体の特徴、「情け容赦ない語り(narrative ruthlessness)」(10)は本作でも健在だ。アニスたち奴隷の日々があまりに残酷なことは言うまでもないが、さらに本作では白人(支配者側)たちを名前ではなく属性や身体的特徴のみで表現し(ジョージアの男、夫人、金髪の男etc)、セリフの数も抑えることで、支配者層に感情がないような効果をもたらしている。この効果でアニスたちが生きる日常が“地獄”であることをより際立たせている。

 作中冒頭で触れられるがタイトルの”Let Us Descend”は、ダンテの『神曲』で詩人ウェルギリウスが主人公であるダンテを地獄のその先へと案内するときのセリフ”let us descend now into the blind world”からの引用である(35)。奴隷の生活が地獄であることを示唆するものだが、タイトルにはもう一つの意味が込められている。
 “descend”には、「下に降りる」という意味のほかに「子孫へ伝える、継承する」という意味もある。つまり、槍の使い方、薬草の知識、ママ・アザや母、他の奴隷たちの生を記憶し、子孫へ伝える(Let us descend)ということだ。それこそがアニスたちの抵抗と連帯の方法なのである。
 前2作との違いは、この「抵抗」にあると思う。小説冒頭、アニスは屋敷での家庭教師の授業を盗み聞きし、家庭教師が奴隷たちを蜂に、白人を養蜂家に例える話を聞く。しかし同時にママ・アザから伝わる「槍」が蜂の「針」のイメージと重なり、さらにアニスは蜂の巣のトップが雌であり「女王(原文では“queens”と複数形)」であることにポジティヴな印象を抱く(7-9)。中盤では、アニスが伝承された薬草の知識によって、ある白人の命を左右する機会を得る。つまり権力関係が逆転する瞬間だ。本作は冒頭に「武器(weapon)」という言葉が出てくるが、まさにそれを象徴として、前2作と比べると全体を通して抵抗のニュアンスがより強く、直接的なのだ。

   今作では様々なキーワード、モチーフが場所を変えて点在しているが、その中でも読者が息を呑むのは「息ができない(I can’t breath)」だ。2014年のエリック・ガーナー事件以降、「息ができない」というフレーズはブラック・ライヴズ・マター運動を象徴する言葉となった。さらに2020年にジョージ・フロイド事件が起きて、その言葉の重要性が増してしまったことは言うまでもない。『歌え〜』にもそれを意識した表現が何度か見られたが、それらはあくまでモチーフであり、テクスト上では「息(Breath)」と書かれる程度だった。しかし、本作ではそのまま「息ができない(I can’t breath)」というセリフが何度も登場し、いずれも黒人奴隷が命の危機に瀕しているシーンでの言葉だ。200年近く前の物語ではあるものの、明らかに現代を意識して書かれている。

 この記事では細かく触れなかったが、アニスとサフィとの明らかな恋愛関係も注目に値する。サフィと離れ離れになったあとも、サフィと交わした身体的接触はアニスの中で残り続け、何度も喚起してくる。これまで語られなかったであろうクィアの黒人奴隷への弔いであるだけでなく、最終部でのアニスの選択に影響を与えており、プロット的にも非常に重要である。
 そしてそのアニスの選択こそ、本作でのもっとも力強い抵抗であり、女性として、1人の人間として強く生きることの決断でもあり、今作が「現代の小説」であることを最も実感する決断なのだ。

注意:ここから先は中盤以降の展開に突っ込んだ話になります。おそらく出版されるであろう邦訳まで取っておきたい方はここで止めることをお勧めします。


先行作 Mother Swamp

 今作の重要な先行作が、7人の作家による短編集 A Point In Time(2022)に収められたMother Swampだ。たったの15頁で、Amazon Prime会員なら無料で読むことができる*1

 アメリカの湿地帯に隠れて生活をする一族の話。語り手の先祖である第一の母(First Mother)はプランテーションの奴隷で、脱走して川へと飛び込み、水面に浮かぶ丸太にしがみつき湿地帯に辿り着く。すでに子どもを孕っていた第一の母は、そこで「隠れ家」を作り、第一の娘を出産し育てる。
 第一の母はかつて、湿地帯の奥にスペイン入植者に連れてこられたマニラ系の男たちが築いた集落があるという噂を聞いたことがあった。第一の娘が17歳になったとき、第一の母はその集落を見つけ出して彼らと「提携」を結ぶ。それは、彼らの集落を秘密にしておく代わりに、娘との子どもを作る男を探す、というもの。男の子が生まれれば集落に、女の子が生まれれば隠れ家で生活をする。
 こうして何世代にもわたって女性の一族は「隠れ家」で生活をするが、第7〜8世代である母と娘(語り手)を大嵐が襲う──という内容。

 Mother Swampの「あとがき」によれば、ウォードは執筆中の小説(つまりLet Us Descendのこと)の構想を練っているときに、Sylviane A. DioufのSlavery’s Exile:The Story of the American Maroons(2014年 未訳)を読んだという。その本によれば、農場を脱走しながらも近くに隠れながら生活して、ときには農場の奴隷たちと物々交換をするなど接触を続ける元奴隷がいた。そんな生活をしている元奴隷たちの中には、追っ手が来れないほどの奥地の湿地帯へと進み、そこで自給自足のコミュニティを作ったものもいた(有名なのが「大ディズマル湿地(Great Dismal Swamp)」で、これはLet Us Descendにも登場する)。
 それを読んだウォードは考えた。そのコミュニティの始まりが1人の女性の奴隷だったら? そこで女性だけの集落を作ったら? ジェンダーロールと家父長制からも、奴隷制からもレイシズムからも解放されたとしたら? Let Us Descnedのラストも、ウォードのこの閃きから導きだされたものだ。

 湿地帯で密かに暮らす女性……となると、やはり思い浮かべるのは映画化もされたヒット作、ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』(友廣純 訳 早川書房)ではないだろうか。そしてこちらも、ハーン小路恭子が『アメリカン・クライシス』の「湿地のエージェンシー、ぬかるみのフィクション」で論じている。そこで『ザリガニ〜』をエコフェミニズム(人間による自然破壊と女性の不平等が、男性優位の社会構造に起因するとする)の流れにある作品として、「非─人間的な視座において湿地の世界のありようを記述しようとするポストヒューマン的な試みがテクストの主要な部分を占め、湿地世界の生き生きとした物質のエージェンシーがとらえられている」としている(154)。
 Mother SwampLet Us Descnedの両作品は、『ザリガニ〜』ほど湿地帯を詳細に描いてはいないが、未開の地(湿地帯)にて自然と共生しジェンダーロールとレイシズムから逃れて暮らすビジョンは、未開の地(フロンティア)にて自然を征服し白人男性主義の社会を築くという現実と対照を成す。
 
 高い評価を得た前2作と異なり200年以上前のアメリカを舞台にしつつも、現代へ、あるいは未来へと投射される豊潤な物語を書いたジェスミン・ウォード。改めて素晴らしい作家であり、今作も期待を裏切らない作品だ。