経歴を確認すると、生まれた年はパワーズが1957年、ヴォルマンが1959年、ウォレスが1962年。デビューの年はパワーズが1985年、ヴォルマンとウォレスがともに1987年。確かに同世代と言ってよく、3人とも物理的に重い小説を書き、日本語版wikipediaでは「ポストモダン文学の作家」とされている。しかし、3人の作品を読んだことがある人は、彼らより上の世代のポストモダン作家──トマス・ピンチョン、ドン・デリーロ、あるいはジョン・バース──とは作風がやや異なることに気が付くはずだ。
その違いについてヒントとなる有名なエッセイが、デイヴィッド・フォスター・ウォレスが90年に書いた(実際に発表されたのは93年)"E Unibus Pluram: Television and U.S. Fiction”(イ・ユニバス・プルラム:テレビとアメリカ小説)2だ。今回はそのエッセイと、それに関連した研究などを紹介する。
あらかじめ言っておくと50頁とエッセイとしてはそれなりの分量があるので、かなり端折ったまとめである。表現を書き換えたり、書いてある順番なども変えているので、正確に論理を把握したいという方は必ず原書を読むようにお願いしたい。
そもそもポストモダン文学とは?
この問い自体がそもそも難問であり、研究者・批評家によって定義もそれぞれだが、ここではザックリ行かせてもらおう。日本の一般的な海外文学読者(研究者は含まない)の中では「ポップ・カルチャーなどを取り入れて」「複数の語り手や脱線など、複雑な構成をもち」「60年代以降に書かれた実験的小説」といったところではないだろうか。代表的な作家は、評価でも人気でもやはりトマス・ピンチョンになるだろう(ここに異論は出ないはずだ)。
トマス・ピンチョンの『逆光』(新潮社、2010年)について、訳者である木原善彦が書いた『ピンチョンの『逆光』を読む ─ 空間と時間、光と闇』(世界思想社 2011年)の冒頭に、ポストモダン文学についてこんな説明がある。
いわゆる「ポストモダン文学」に興味がある人なら、ウィリアム・T・ヴォルマン(William T. Vollmann)という名前は聞いたことがあるだろう。90年代以降のアメリカを代表する作家の一人で、ピンチョンのように長大で難解な作品を書く人物……というイメージを持っている方が多いはず。実際に経歴を調べてみると、ヴォルマン本人がピンチョンの小説に登場するような、とんでもないキワモノであることがわかる。
1959年に生まれたヴォルマンは、大学で比較文学を学んだあとコンピュータープログラマーとして働きながら、87年にYou Bright and Risen Angelsを完成させデビュー。704頁もある長大なデビュー作が「ヴォルマンは、ピンチョンとトム・ウルフ※1の間という誰もいない場所を歩き回っている」と評されたように、ヴォルマンは、小説家とジャーナリストの要素を持った珍しい作家だ。
ヴォルマンはノンフィクションの要素が色濃い小説を書いているだけでなく、ノンフィクションそのものも多く発表している。本人の戦地での経験も含め、暴力についての20年間の考察をまとめたRising Up and Rising Down: Some Thoughts on Violence, Freedom and Urgent Means(03年)は彼の最も長い作品で、全7巻で計3352頁もある(のちに1冊にまとめた圧縮版も出版された)。ヴォルマンが女装を始めたことで生まれた女性人格「ドロレス」について書かれたThe Book of Dolores(13年)なんて本もある。さらに、彼はイラストを多く描いては自作に使用し、87年に自費出版したThe Convict Bird: A Children’s Poemは、鉄の板で綴じられて売春婦の髪の毛で作られた栞がついているという。
様々な活動をしているヴォルマンだが、有名なのは北米大陸への移住の歴史を書き記す「七つの夢」シリーズだろう。90年に第1作The Ice-Shirtが発表されたあと、現在までに5作が発表されており、そのうち94年の『ライフルズ』(The Rifles)は国書刊行会から栩木玲子訳で01年に邦訳されている。
そして、現在手に入る日本語のヴォルマンの著作は『ライフルズ』含めてたったの3冊。他の2冊はいずれも90年代に邦訳されて絶版。あとは短編などがアンソロジーに少し紹介されているだけ。
当然、ヴォルマンの05年のあの小説も未邦訳──というわけで、今回はその800頁の大長編にして全米図書賞受賞作、Europe Central(ヨーロッパ・セントラル)を読んでみたわけである。
実は私はかなりのボクシングファンなのだが、それを知っている編集者の友人が面白いことを教えてくれた。ハワイの日系二世作家が書いた作品に、貧困から抜け出すためにボクシングを始めるという描写があるという。さらに、著者の意向で邦訳NGとなっているそうだ。それがミルトン・ムラヤマ(1923-2016)の連作短編集All I Asking For Is My Bodyだ。早速取り寄せて読んでみたが……この作品はボクシング小説云々以前に、文化と文化との間に揺れ動く人々を103頁に一文の無駄もなく詰め込んだ、移民文学の傑作だ。
ミルトン・ムラヤマ(1923-2016)は、九州からのハワイ移民の子として生まれる。1941年、高校卒業後にハワイ大学へ進学。同年12月、真珠湾攻撃によって日本とアメリカが交戦状態となると、ムラヤマは日本語話者として台湾へ送られ、日本兵捕虜などに対して通訳などの任務に就いていた。戦後、ハワイ大学を卒業するとコロンビア大学院へ進学し、中国語と日本語で修士号を取得。その頃から小説を書き始め、執筆をしながら図書館員として働いていたようだ。
All I Asking For Is My Bodyは3部構成となっていて、第1部が雑誌に掲載されたのが1959年でこれがムラヤマのデビュー作となる。その後、2部と3部を書き上げ完成版となり出版されたのが1975年。大きな文学賞を受賞することはなかったが、現在では日系ハワイアンの生活を描いた傑作として高く評価され、wikipedia曰く「カルト・クラシック」となっているという。
本書の最後に収められたFranklin S. Odoの解説でも指摘されているが、「良い英語(good English)」という表現にすでに異文化間の対立が現れている。本作には数多くの「対立」を見てとることができるが、この一節にその全てが象徴されていると言えるだろう。
第一部「頭をコツンするぞ(I’ll crack your head kotsun)」
All I Asking For Is My Bodyの舞台は1930〜40年代のハワイ。オヤマ(Oyama:もしかするとオオヤマなのかもしれない)家の次男として生まれたキヨシが語り手。第1部は10頁ほどで、全体の導入となっている。
まだ幼いキヨシは同じ年の友人2人と一緒に、少し年上で”kodomo taisyo”のマコトと遊ぶようになり、フィリピン系の住民が住む集落の中にあるマコトの家にいく。昼間にも関わらず両親がおらず、マコトが調理する豪華な食事をご馳走になる。それがしばらく続くと、両親からもうマコトの家には行ってはいけないと言われる。キヨシは何度も理由を尋ねるが両親は一向に教えてくれず、言うことを聞かないと頭をコツンするぞ! と怒られてしまう。忠告を聞かずにその後もマコトと遊ぶキヨシだが、ついに折れてマコトの家にもう遊べないと伝えにいく。そこでマコトの母親が売春婦として働いていることが暗示され、キヨシはマコトの家から去る。
第2部「身代わり(The Substitute)」
こちらも13頁と短い内容。第1部から3年後の1934年、キヨシの母親は以前から病弱だったが、さらに悪化して医師からも危ない状態だと言われる。父親は漁に出て、長男のトシオは高校のあとそのまま仕事にいくので、キヨシが3人の妹と母の面倒をみなければいけない。キヨシは母親からハワイに来た経緯、6000ドルの借金など、オヤマ家の歴史を聞かされる。母親と父親が遠い血縁関係にあたるので、そこから不運が始まったのだと母親は言う。母親は、最後に彼女の祖父の姉にあたる「おばば(英語表記はObaban)」に会いたいと言うので、キヨシはおばばが住むカハラ(Kahara)へと向かう。
キヨシはおばばを連れて帰り母親と対面させ、おばばはその日のうちにカハラへと帰る。翌日、授業中のキヨシを父親が迎えにくる。母親の死を覚悟したキヨシだったが、知らされたのは、おばばが危篤状態になったので家族でカハラへ向かうということだった。しかしオヤマ家が着く頃にはすでにおばばはこの世を去っていた。
第1部と第2部ではオヤマ家を通して当時の日系人の生活を描くが、「バチ」の概念や「四」にまつわる概念(死を連想)といったお馴染みの迷信を含め、日本のそれとほとんど違いがない。幼いキヨシを語り手に何度も「どうして?」と質問させることで、プロットの流れを止めない程度に英語圏の読者に日本の生活習慣を提示する。
そして残り80頁ほどの第3部が、実質的な本編と言える。
第3部「俺の望みは俺の人生なんだ(All I Asking For Is My Body)」
1936年、オヤマ家に4人目の女の子が生まれ、一家はカハラという街に引っ越すことにする。カハラにはサトウキビのプランテーションがあって多くの住民がその労働者として働いており、父だけでなく兄のトシも高校を辞めてプランテーションで働くことになる。
苦しい生活の中、長男のトシオは両親に反発する。両親は、かつて自分たちがそうしてきたように「親を助けるのが子どもの義務(Filial Duty)だ」という価値観で生きており、それを子どもたちにも押し付ける。
キヨシの変化と選択
小説が後半に差し掛かる頃、すべてをひっくり返すような出来事が起こる。それが1941年の真珠湾攻撃だ。これまで日本人としての誇りを唱えていた日本人集落はパニックになる。両親も態度を変えてトシオの日本語の本や国旗を隠せという助言を聞き、軍隊に所属していた日系二世は武器を没収され単純労働に従事、日本領事館でアルバイトをしていた日本人がFBIに逮捕され、オヤマ家が以前住んでいた土地では仏教徒が追放、日本人会の会長が逮捕された。日系二世は自らのことを”AJA = Americans of Japanese Ancestryと名乗り始めるようになる。
そして、これまで「どうして?」を繰り返していたキヨシが変わる。カハラの日本人集落の長、タケモトの元へ押しかけたキヨシは、「日本人でいることが恥ずかしい、なぜ日本はあんなことをしたのか」とタケモトに理由を問う。タケモトの「日本人は合理的に考えないんじゃ。その場で一番良いと思ったことをする」という言葉を境に、キヨシの言動が明らかに変化する。
マドゥリ・ヴィジャイ「親愛なる友よ」(You Are My Dear Friend by Madhuri Vijay)
マドゥリ・ヴィジャイはインドのベンガルール出身。ローレンス大学で心理学と英語を学び、卒業後はインドを離れて暮らす人々を研究していたようだ。カシミールを舞台にしたデビュー長編 The Far Fieldで、インドで最も権威のある文学賞(らしい)JCB賞を受賞している(英語で書かれたか、あるいはインド語に翻訳された作品が対象)。
ガブリエル・バンプは1992年生まれ。シカゴの出身。マサチューセッツ大学で創作を学びMFAを取得。これまでに短編をNew York Timesなどで発表し、28歳の2020年に第一長編Everywhere You Don’t Belong(Algonquin Books)を発表。好評でテレビドラマ化されるそうだ。
ヒスパニック系の若者の青春時代を語った短編。語り手は、様々な人種がそれぞれのテリトリーで暮らす街に住み、2人の友人と仲良く遊んでいた。しかし、その仲良し3人組は危険な商売に誘われ、次第に道を外れていく。
この短編の魅力は語り口だ。ジュノ・ディアス作品のように、スラングだけでなくスペイン語も多いので全てを理解できたわけではないが、幼年時代の思い出、成り上がり、そして没落までが、達観したようなトーンで、それでいてどこか爽やかに語られる。
「皆がそれぞれの物語の語り手なのだ(we were the tellers of our own stories)」と教えられて育った語り手は最後のパラグラフで、自分たちのことを忘れてもらっても、この土地に移り住んでも何とも思わない、と語る。なぜなら語り手は、思い出や記憶といった個人的な物語の価値を分かっているからで、それを読者に伝えるラストは儚くも美しい。
ブランドン・ホブソン「愚者からの脱出」(Escape from the Dysphesiac People by Brandon Hobson)
ブライアン・ホブソンはオクラホマ州立大学で創作を学び(博士号を取得)、現在はニューメキシコ州立大学とアメリカンインディアン美術研究所で教えている。すでに長編を4作発表しており、2018年のWhere the Dead Sit Talkingは全米図書賞のファイナリストになっている(受賞作はシークリット・ヌーネス『友だち』)。
ジャミル・ジャン・コチャイはアフガニスタンの難民キャンプで生まれ、カリフォルニアに渡る。カリフォルニア州大学で創作を学びMFAを取得。2019年に第一長編 Nights in Logarを発表、PEN/ヘミングウェイ賞のデビュー長編賞の最終候補に残るなど高い評価を得て、2022年7月に短編集 The Haunting of Hajji Totak and Other Storiesを発表。
まずはDFWについて。これについても当ブログ「Infinite Jestまとめ0」でも説明しているが、一応改めて簡略に説明しておこう。 デイヴィッド・フォスター・ウォレスは1962年生まれ。大学で哲学と文学を学び、24歳でThe Broom of the System(『ヴィトゲンシュタインの箒』講談社 宮崎尊 訳)で作家デビュー。大学の創作科で教えながら34歳の1996年に『インフィニット・ジェスト』を発表。エッセイ・短編・ノンフィクションを発表しつつ、3作目の長編The Pale King執筆中の2008年に自殺。長年双極性障害に悩まされていたという。享年46歳。
DFWの作品はいくつか日本語に訳されているが、そのほとんどが絶版、あるいは文芸誌やアンソロジーに収録されたもので、図書館に行かなければ手に取りにくいのが現状だ。2022年6月現在、容易に入手可能なのはテニスのエッセイを集めた『フェデラーの一瞬』(河出書房 阿部重夫 訳)と、大学でのスピーチを収録した『This is Water(これは水です)』(田畑書店 阿部重夫 訳)の2冊であろう。
DFWの作品を実際に読んでみるとすぐにわかるのだが、ピンチョンやパワーズ同様、DFWの文章は非常に難解だ。これについては『すばる』2018年9月号に収録されたDFWのエッセイConsider the Lobster(『ロブスターの身』)の解説で、訳者である吉田恭子が非常に的確にまとめているので、そのまま引用したい。
『インフィニット・ジェスト』の時代設定は執筆当時の90年代から見た近未来の、高度資本主義がさらに発達した00年代後半と推測される。なぜ推測なのかというと、西暦の代わりに使用する年号が毎年オークションされていて、“YEAR OF THE ◯◯◯◯ ” と表記されているからだ。 アメリカはメキシコ、カナダと“Organization of North American Nations(O.N.A.N)”という「超国家(supernation)」を成立させ、人々は電話、テレビ、コンピュータ、そして「カートリッジ(Cartidge)」と呼ばれる映像娯楽のプレーヤー、それら全ての機能を兼ね備えた「テレピューター(Teleputer or TP)」で各々好きなコンテンツを消費し続けている。
そしてマサチューセッツ州にある架空の街、アンフィールド(Enfield)にあるテニスアカデミー「アンフィールド・テニス・アカデミー(E.T.A.)」と、その麓にあるアルコール・ドラッグ中毒者の更生施設「エネットハウス(Ennet House)」が主な舞台となる。
私が200頁までの概要をチャプターごとにまとめた「Infinite Jestまとめその1〜4」だが、今読み返してみると”The Great Concavity”や「ジ・エンターテインメント」に関する情報など、作品全体に関わる重要な設定が200頁までにほとんど出揃っているので、原文で読もうとしている場合に理解の補助となるのは確かだと思う。
2021年の全米図書賞受賞作。本書の紹介の前に、ここ数年のアメリカの文学賞受賞作で差別を扱った作品について考えてみよう。つまり、オバマ大統領当選によって「人種差別は終わった(ポスト・レイシャル)」と言われた時代以降に「人種差別(レイシャル)」を扱った作品だ。私はそこに2つの潮流が存在すると考えている。
まず思い浮かぶのは、コルソン・ホワイトヘッドとジェスミン・ウォードであろう。いずれもすでに日本で紹介され人気も高いので説明は省くが、この2人はいずれも(設定は異なれど)人種差別をストレートに書いている。フォークナーの影響濃いウォードのように、ある種の伝統的な作風ともいえるだろう。ネイティヴ・アメリカンを書き続けたルイズ・アードリックの2021年のピューリッツァー賞受賞作 The Nightwatchman などもその流れに加えられるか(過去記事参照)。
もうひとつは、人種差別をアイロニーやコメディとして、変化球的に書いた作品たちだ。2015年の全米批評家協会賞・2016年イギリスのブッカー賞受賞作のポール・ビーティ『セルアウト(The Sellout)』、そして2020年の全米図書賞受賞作チャールズ・ユウ『インテリア・チャイナタウン(Interior Chinatown)』(いずれも過去記事参照)。この2作品は2022年2月現在いずれも未翻訳。すべて素晴らしい作品群だがその片方しかまだ日本に紹介されていないことは残念としか言いようがない。
そして2021年の全米図書賞を『ヘル・オブ・ア・ブック(Hell of a Book)』が受賞したことで、その2つの潮流が確立されたと言える。『ヘル・オブ・ア・ブック』は後者の潮流に属する作品であり、人種差別をコメディのメタフィクションに絡めているからだ。
とにかく本書は笑える。私は英語・日本語問わず、本を読んでここまで笑ったことはない。とにかくまずは本書35頁の書き出しだ。ちょっと訳してみよう。