未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

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まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

戦争文学の新たな古典の誕生(At Night All Blood Is Black by David Diop)

 ブッカー賞はイギリスの文学賞英語圏の小説に与えられる賞だが、国際ブッカー賞とは英語に翻訳された小説を対象とする賞で、つまりはブッカー賞の翻訳部門。日本人では2020年には小川洋子の『密やかな結晶』(原著は1994年)が最終候補に残っており、アジア人作家ではハン・ガン『菜食主義者』が唯一の受賞作となっている。
 今回紹介するのは、デヴィッド・ディオプ(David Diop)の2021年国際ブッカー賞受賞作"At Night All Blood is Black"、当ブログでは初の非英語圏の小説だ(ボラーニョの解説文の拙訳は特殊な例なので除く)。著者のデヴィッド・ディオプは1966年パリ生まれセネガル育ち。現在はフランスのポー大学で18世紀の文学を教えている。というわけで原文はフランス語。

 デヴィッド・ディオプ2作目の小説"Frère d'âme"Google翻訳では『魂の兄弟』)は2018年に発表、フランスの2000人の高校生が選ぶ「高校生のゴンクール賞」を受賞。13の言語に翻訳されそこでも様々な文学賞を受賞し。2020年、詩人であり翻訳家のAnna Moschovakisによって"At Night All Blood is Black"のタイトルで英訳されて国際ブッカー賞受賞となった。仮に邦題をつけるなら『夜、すべての血は黒く』とかだろうか。
 なぜ「高校生のゴンクール賞」なのかというと、文章が非常に平易だからで間違いない。多少の専門用語や見慣れない単語はあるだろうが、使われている単語も文法も基本的にセンター試験レベル。しかも頁数は150ときているので、大学生はもちろん少し背伸びした高校生でも、電子辞書片手にすんなりと読了できるはずだ。
 しかし実際に大学の授業で扱うには、あるいは高校生が読むには、十分な配慮が必要だろう。なぜならこれは戦争におけるヒューマニズムを扱った、非常に凄惨な小説だからだ。

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150頁のペーパーバックなら持ち運びも楽々♫

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…知っている、分かっている。俺はやるべきじゃなかった。俺はアルファ・ンジャイ、年老いた、老人の息子、俺は理解している、そうすべきじゃなかったと。(1)


 舞台は第一次世界大戦塹壕戦。フランス軍に加わっているセネガル出身のアルファ・ンジャイ(Alfa Ndiaya)という青年が語り手だ。冒頭アルファは、兄弟以上の絆で結ばれた友人、マデンバ・ディオプ(Mademba Diop)が壮絶な最後を遂げたときのことを振り返る。
 マデンバは戦場で負傷し腹が裂け、臓器が外に飛び出し死を待つ状況だった。他の兵士が塹壕に避難する中、アルファはマデンバを置いていけず戦場でマデンバを腕に抱く。そこでマデンバはアルファに自分の息の根を止めて欲しいと請うが、アルファは大切な友人マデンバを殺すことができない。マデンバはアルファに抱きしめられながら夜通し苦しんだあと、ついに息絶える。
 そこで初めてアルファは「そうすべきではなかった」と、マデンバが苦しまないように自分の手で殺すべきだった、と思う。人間であろうとして、マデンバに余計な苦しみを与えてしまった、マデンバを楽にしてあげることこそが人間的な行為だった、と。

 そしてアルファは戦場で戦い続ける。死んだフリをして油断した敵軍の兵士を襲い、手を切り落として自陣に戻ってくる。マデンバが襲われた、魂の兄弟の命を奪ったまさにそのやり方を使って。毎回ひとり遅れて「トロフィー」を抱えて塹壕へと戻ってくるアルファを褒め称えられる指揮官と同僚だが、やがてアルファを不気味に感じ、遠ざけようとする。マデンバのことを想いつつ、戦場での狂気とは何か、人間性とは何かを問いながらアルファは戦い続ける。

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 「俺は知っている、理解している(I know, I understand)」「絶対的な真理として(God’s truth)」 など、同じ言葉を何度も何度も使う文体は、どこか稚拙で非常に独特(後半で明らかになるが、これはマデンバと違いアルファがまともな教育を受けていないことを反映してのことだろう)。アルファは、戦場が具体的にどこなのかを明らかにせず、淡々と目に見たもの、感じたものを語っていく。敵軍兵士の手を持って帰ってくるアルファを周りが最初は英雄扱いするも、徐々に化物のように扱っていくことに対し、「真理なのだが、こんな風に物事は進むし、これが世界なのだ。全てのものに二面性がある」(67)と語る。このように、アルファの言葉はあくまで戦場での普遍的な姿を明らかにするもので、それは敵国側でも、別の時代の別の戦場でも起きていることなのだということが、読んでいると分かるようになっている。

 しかし、アルファはどこにでもいる兵士のひとり、という描かれ方はされていない。第一次大戦時のセネガルはフランスの植民地。つまり、この小説はアルファを通して人種問題、植民地主義もテーマにしている。
 白人の指揮官からの人種差別はもちろんだが、後半に行くに従い明らかになるアルファとマデンバの過去が非常に面白い。そこでは、前半の戦場の場面とは打って変わったセネガルの民族と風土、そして彼らが「魂の兄弟」である理由が描かれる。和やかではあるが、民族の慣習によって振り回される人生の悲哀は、前半部の戦争の不条理とも繋がっている。そしてセネガルでの生活を全てを飲み込み2人を遠く離れた戦場の塹壕へと連れていくのが、植民地主義だ。

 そして小説は語り手アルファの過去から現在へと戻っていく。それまで「俺は知っている、理解している(I know, I understand)」を繰り返してきたアルファを待っているのは…

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 これ以上ない残酷なオープニング、戦争の狂気をあまりにシンプルすぎる文体で語っていく不気味さ、植民地や民族など複雑な過去を抱えた語り手がいよいよ狂気に呑まれていき、最後の20頁で待ち受ける衝撃の展開…。戦争文学の新たな古典の誕生と言ってもよいだろう。

 冒頭で書いたように、原題のフランス語は(Google翻訳すると)「魂の兄弟」となり、それに対して英訳版は「夜、全ての血は黒く」となっている。なお、”At Night All Blood is Black”というフレーズは比較的前半の本文中に出てくる。
 衝撃のラストまで読むと(真の意味が)わかるのだが、アルファとマデンバは最後まで強い絆で結ばれている。が、それと同時に戦場では、アルファもマデンバも、白人のフランス人もドイツ人も、みな狂気の海に浸されやがて人間でなくなって(あるいは死んで)しまう。原題はアルファとマデンバの2人の関係に焦点を当てたタイトルだったが、英訳版は「戦場で戦う人間は全て同じである」という面を強調したかったのかもしれない。
 個人的には原題の方がしっくりきたが、もし邦訳されるのならどうなるだろうか? いや、そもそも150頁という中編とも呼べそうな作品は日本語に翻訳されるのだろうか? キャリアも浅いので他の短編と抱き合わせというのも難しそうだが…。

 というわけで、「センターレベルの英語ならイケる!」という方は最初の洋書として、大学生なら夏休みの挑戦として、"At Night All Blood is Black"を読んでみてはいかがでしょうか?