未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記

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まだ翻訳されていない英米文学をたまに紹介します。

Introduction of “Roberto Bolaño The Last Interview”

 洋書を扱う書店に行って海外文学の棚を眺めていると、表紙が似顔絵になっている薄い本を見つけることができると思う。それが『The Last Interview』シリーズで、その名の通り、すでに亡くなった作家のインタビューを集めたものだ。このシリーズにはアーネスト・ヘミングウェイカート・ヴォネガットフィリップ・K・ディックなど英語圏の人気作家を始め(『インフィニット・ジェスト』のデイヴィッド・フォスター・ウォレスもある)、ガブリエル・ガルシア=マルケスホルヘ・ルイス・ボルヘスなどの非英語圏作家、作家ではないがキング牧師ジャック・デリダ、デイヴィッド・ボウイ、ルー・リードなどなどと幅広い。

 そんなコレクションの中に、私の大のお気に入り作家、ロベルト・ボラーニョも含まれている。


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 今回書いたのは『Roberto Bolaño The Last Interview(ロベルト・ボラーニョ:ラスト・インタビュー)』の冒頭に収録された、マルセラ・ヴァルデス(Marcela Valdes)による解説 “Introduction──Alone Among the Ghosts”(2008)の拙訳(9-40p)だ。

 というのも、これが実質『2666』の解説に近いものとなっていて、あの大長編を読み終えた読者には是非とも一度目を通して欲しいと思っていたからだ。


※マルセラ・ヴァルデス:『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』など多くのメディアに寄稿しているラテンアメリカの政治や文化を扱うジャーナリスト。



「幽霊の中でたったひとり」

マルセラ・ヴァルデス



作者の部

 2003年7月、肝不全で亡くなる直前のことだが、ロベルト・ボラーニョは作家よりも探偵になってみたかった、と発言した。そのときボラーニョは50歳、すでにガブリエル・ガルシア=マルケス以来最高のラテンアメリカ人作家だと広く認識されていたが、そのメキシコ版「プレイボーイ」でのモニカ・マリステインによるインタビューでのボラーニョはそんなことを気にも掛けない。「殺人専門の探偵になりたかった。作家よりも断然ね」。さらにこう続ける。「本当にそう思っているよ。そして連続殺人事件だね。夜に、殺人現場へ、ひとりで戻って行ける人物。それも幽霊を恐れずに」

 探偵物、挑発的な発言、これらはいつもボラーニョが情熱を注いでいたものだ(かつてボラーニョは存命の英語圏作家ではジェイムズ・エルロイが最高だと発言していた)。しかし謎を探し求めるストーリーへの彼の熱意は、プロットやスタイルといった要素を越えている。その本質において、探偵物とは暴力の動機や仕組みを調べていく物だが、ボラーニョ(トラテロルコ事件が起きた1968年にメキシコに移り、1973年の母国チリでのクーデターで監禁された作家)の場合は、事件そのものに取り憑かれている。彼の全作品に渡る大きなテーマは、芸術と悪名との関係、職人の技と犯罪との関係、そして作家と全体主義体制との関係なのだ。

 事実、彼の成熟した作品全てに、圧制的な権力に作家がどのように反応するかが綿密に書かれている。『はるかな星』(1996)で書いたのは、チリの暗殺部隊の歴史と連続殺人犯に変貌した詩人によって浮かび上がる行方不明者たち。『野生の探偵たち』(1998)では、メキシコの「汚い戦争」(訳注:「汚い戦争」とは、70年代から80年代にかけてアルゼンチンで行われた軍事政権による弾圧のこと)の時代に、政府お墨付きの作家たちへ決闘を申し込んだ若い詩人たちを崇めた。『Amulet』(1999、未翻訳)において物語の軸になるのは、1968年、メキシコ自治大学に政府が軍隊で突入した際、トイレに隠れて生き延びた中年の詩人だ。『チリ夜想曲』(2000)で描いたのは文学サロンだが、彼らが集まりパーティーを開く屋敷は、実は反体制派への拷問が行われていた場所でもあった。そしてボラーニョの最後の小説であり、死後に出版された『2666』でも、幽霊のニュースが紡がれている。それは1993年から主にシウダー・フアレスを中心にチワワ州で起きた、430人以上の女性と少女が殺された事件だ。

 被害者の多くは登校中、または学校や仕事からの帰り道、あるいは友人と夜に遊んだ帰りに忽然と姿を消した。そして数日または数ヶ月後に、彼女たちの死体が発見される──溝、砂漠のど真ん中や街のゴミ捨て場に放り投げられた状態で。ほとんどが窒息死だが、刺されたり、焼かれたり、撃たれていたものもあった。被害者の3分の1はレイプされた痕跡があり、拷問された痕がある死体もあった。確認された中での最年長の被害者は30代で、最年少はまだ小学生の年齢だった。2002年以降、一連の殺人事件はハリウッドで映画化され(ジェニファー・ロペス主演『ボーダータウン』)、多くのノンフィクション本、ドキュメンタリーとしてまとめられ、メキシコ国内外で何度もデモ行進が行われた。アムネスティ・インターナショナルによると、いわゆる「フェミサイド(femicide)」の半数以上に無罪判決が下されたとされる。

 ボラーニョは一連の連続殺人事件が注目を浴びるかなり前から、この未解決事件に取り憑かれていた。1995年、彼はスペインからメキシコの古い友人カルラ・リッピー(『野生の探偵たち』で美しいカトリーナ・オハラのモデルとなった人物)に手紙を送っている。その手紙で触れているのが、彼が長年取り組んでいる小説『真の警察官の悲哀(The Woes of the True Policeman)』だ。彼は出版社に送った原稿を他にもいくつも持っていたが、この本は「『私の』小説だ」と書いている。メキシコ北部のサンタテレサと呼ばれる街を舞台にし(訳注:サンタテレサは架空の地名)、14歳の娘を持つ大学の文学部の教授を中心に物語が進む。原稿はすでに「80万ページ」を越えて「間違いなく誰も理解できないであろう、狂気のもつれ」だと豪語していた。

 もちろん、その時はそうだったのだろう。この手紙を送り、これまで通りの失敗が近づいていたとき、ボラーニョは43歳だった。詩集を2冊、友人との共作で小説を1作発表し、5年間スペイン中の文学賞に短編小説を送り続けていたが、ボラーニョは電話線を引けないほど金欠であり、彼の作品はほとんど全くと言っていいほど知られていなかった。これより3年前にボラーニョと彼の妻は離婚をしており、ほぼ同じ頃、彼は肝臓癌だと診断されている。8年後、彼が命を落とすことになる病だ。ボラーニョはいくつかの短編小説コンテストを受賞してはいたが、彼の長編は出版社から拒否され続けていた。しかし1995年の終わり頃、彼は驚くべき飛躍を遂げる。

 ターニングポイントはアナグラマ社の創設者であり社長であるホルヘ・エラルデとの出会いだ。エラルデは『アメリカ大陸のナチ文学』の権利を買うことはできなかったが(セイス・バラル社がすぐに飛びついた作品だ)彼はボラーニョをバルセロナに招待した。そこでボラーニョは自身の金欠っぷりと、作品が拒否され続けたことで味わった絶望を彼に伝えた。「私は彼に教えたんだ…私は君の他の原稿を読みたくてしょうがないと。そしてその後すぐに彼は『はるかな星』(のちにわかったことだが、この作品もセイス・バラル社を含めた他の出版社から拒否されていた)を送ってくれた」とエッセイで回顧している。しかしエラルデにはその本がとてつもない作品だということが分かった。それ以来、彼はボラーニョのフィクション、7年間で9冊を全て出版した。

 その期間、ボラーニョは作品が出版される度に前作より多くの読者を獲得していき、せっせと狂気のもつれに取り組み続けた。その仕事には書くことだけでなくもちろん調査も含まれていた。小説の舞台をフアレスよりもソノラ州の架空の街サンタテレサに設定することで、彼が知ることと彼が想像したこととの境界線をぼかすことができた。しかし、彼が本当に関心を抱いていたのは、フアレスとその住民が直面している状況を理解することだった。ボラーニョはその地域の荒れ果てて、乾燥した風景にすでに馴染みがあったが(彼は1970年代にメキシコ北部を旅している)、フェミサイドが始まるのは彼がヨーロッパへ渡ってから16年が経過したあとだった。ボラーニョはその街に住む人を誰も知らなかったため、彼の知識は新聞とインターネットで入手できる情報に限られていた。彼はそれらの情報から、犯罪を行うにはフアレスは完璧な場所だと考えたのだろう。

 禁酒法の頃、アメリカ人のための飲み屋街であったフアレスは、NAFTA(訳注:北米自由貿易協定)が施行された1990年代に急速に発展した。数百もの組立工場が乱立し、それに誘われるように数十万人もの貧困者が時給50セント程度しかない仕事を求めてメキシコ中からやってきた。製造業にとってフアレス市が魅力的だった理由(整理された道路、すぐ近くにある大規模な消費者市場、大量の組織化されていない労働者たち)が、同様に麻薬密売業者にとってもフアレス市が理想的な中心地として魅力的に映ったのだ。1996年まで毎年4200万人と1700万台もの自動車がフアレスを通過した。フアレスはアメリカ・メキシコ国境線で最も交通量が多かったトランジットポイントであり、不法入国にも人気の場所となっていた。そして街は安い密貿易の中心地へと変貌し、貧しく勤勉な女性たちの死体が見つかり始めた。

 現実のフアレスとフィクション上のフアレス、つまりサンタテレサは、ボラーニョが他のほとんどの作品で舞台に設定する文化の中心地とあまり似ていない。『はるかな星』ですら、チリ南部の最も有名な大学都市が舞台だ。サンタテレサのスラム街には創作のワークショップもなければ、反抗的な詩人たちのグループもない。他の全てのボラーニョ作品と同じように、『2666』は作家、アーティスト、知識人であふれている。しかし、それらの登場人物はどこか別の土地からやってくるのだ。ヨーロッパから、南米大陸から、アメリカやメキシコシティから。彼らが閉じ込められるメキシコ北部の荒地は、コーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』で陽気な殺人集団が暴れ回った舞台と同じであり、サンタテレサは文字通り、文化的に干上がっているのだ。

 砂漠の工業地帯と従来のボラーニョ作品の舞台との関連は、緋文字のように、小説の表紙に描かれている。悪魔的な2666という年(『2666』のどのページにも出てこない数字)は、私たちに『Amulet』を隅から隅まで再読させるよう迫り、その数字が突然現れるのはアウクシリオ・ラクチュールという女性の白昼(悪)夢の中だ。小説の序盤から地獄のヴィジョンがアウクシリオを取り囲み、彼女が花瓶をのぞき込んだとき彼女は「人々が失った全てのもの、痛みをもたらし忘れてしまったほうがよい全てのもの」を見る。

 その後、彼女がメキシコシティの通りを歩き回っていると、彼女は別の悪魔的な幻覚に襲われる。真夜中の通りでは彼女の他に人影はなく、強い風が吹いている。そんな時刻に、アウクスリオは言う。レフォルマ通りが「透明なチューブに、街の想像上の息を感じられる楔形の肺へと変わってしまった」。そしてゲレロ通りが「墓地そのもののように見える…それは2666年の墓地、死者、または生まれなかった赤子のまぶたの裏で忘れ去られた、何かを忘れることを望み結果的に全てを忘れた目の冷めた液体に浸った墓地だ」

 他のボラーニョ作品と同じように、『2666』は墓場なのだ。ボラーニョは1998年のロムロ・ガジェーゴス賞授賞式のスピーチにて、自身が書いた全ての作品はある意味でラテンアメリカの汚い戦争で若くして亡くなった者たちへの「愛の、もしくは別れの手紙」だと明かしている。彼の過去の作品は1960年代、1970年代の死者を記念するものだ。そして『2666』での彼の野望はもっと大きい。それは死体解剖を書くことだ。それも過去、現在、そして未来の死者のために。


犯罪の部

 ボラーニョは肝臓移植の提供を延期して『2666』の完成を目指したが、病魔は急速に広がってしまい完成させることができずに亡くなってしまった。葬儀の後、彼の友人であり文学的な後見人である批評家イグナシオ・エチェバリアによって、ボラーニョのオフィスにあった原稿がくまなくチェックされ、2004年アナグラマ社から出版された形にまとめられた。そして、才能溢れる翻訳家で『野生の探偵たち』の訳者でもあるナターシャ・ウィンマーが英語圏の読者へと届けた。

 ボラーニョは自身の原稿を細かく管理していた。彼は無鉄砲だったかもしれないが、愚かではなく、そして自分が死に向かっていることも知っていたのだ。しかしアナグラマ社は彼の望みをひとつだけ破った。長年に渡って、ボラーニョは『2666』は1冊の本であり、「世界で最も厚い本」になると吹聴していた。ところが最後の数ヶ月になると、彼はその物語を5つのセクションに分け、それぞれ別々に出版することに決めた。この衝動的行動の背景には現実的な理由がある。ボラーニョは、『2666』の献詞にも書かれている2人の若い子供たちを残してこの世を去らねばならず、死後も子供たちに不安を残したくなかった。彼は短い5冊の小説という形のほうが、読むのが肉体的にキツい1冊の化け物よりも多くのお金を稼いでくれるだろうと考えたのだ。ありがたいことに、遺族とアナグラマ社は彼のオリジナルの構想に従うことにした。エチェバリアがエピローグに書いたように、「『2666』を構成している5つのセクションはそれぞれ独立して読むことができるかもしれないが、それぞれが多くの要素を共有しているだけでなく(反復するテーマが僅かに絡み合っている)、明確に統合されたデザインの一部でもあるのだ」。その一方で、アメリカの出版社シュトラウス・アンド・ジルーは両面作戦をとった。つまり、2.75パウンド(訳注:1.2キロ)のハードカバーと、専用ケース付き3冊のペーパーバックと2種類に分けて出版したのだ。

 いずれにしても『2666』は弱気な人向けの本ではない。長さは900ページ近くにわたり、物語の舞台をチャート化していくと、さながら航空機のフライトマップのようになる。着陸を示す赤い点はアルゼンチン、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、メキシコ、ポーランド、ペルシア、ローマ、ロシア、スペイン、そしてアメリカまで続く。世界旅行だけでは足りないかのように、その小説はたくさんの登場人物とほとんど1世紀分の歴史をも内包している。

 ボラーニョはかつて、南北アメリカ大陸において全ての近代小説は2つの源流『ハックルベリー・フィンの冒険』と『白鯨』から生まれている、と書いた。『野生の探偵たち』は、大騒ぎする登場人物たちから分かるように、ボラーニョの友情と冒険を描いた小説である。一方、『2666』は白鯨を追いかけていると言える。ボラーニョは、メルヴィルの小説には「悪の大地」を書く鍵があると考えていた。メルヴィルの大長編のように「スルメ」な作品が好きかどうかで『2666』は驚異的作品にも睡眠導入剤にもなりうる。私はこれまでに3回読み、散りばめられた知的で愉快なシーンを含め、濃く、燦然と輝き、恐ろしい小説であると感じた。


(訳注:これより先は『2666』の深刻な、他のボラーニョ作品の軽いネタバレを含みます)

 1ページ目から4人のヨーロッパの文芸批評家たちの生活に引き込まれる。4人は皆、正体が謎に包まれたドイツ人作家ベンノ・フォン・アルチンボルディを崇拝しており、またアルチンボルディへの熱意とほとんど同じぐらい、お互いをベッドに誘うことに夢中になっている。連続殺人についてボラーニョは最初の2章(「批評家の部」と「アマルフィターノの部」)では、もったいぶって曖昧にしか触れない。彼はパトリシア・コーンウェルスティーブン・キングのようにいきなり血糊を見せるようなことはしないのだ。殺人への遠回しな言及が初めて出てくるまで、我々は43ページも読まねばならず、第1部では3人の教授のうちサンタテレサを訪れるのは2人だけ、それも連続殺人が起こっていると耳にするだけだ。彼らはただのメキシコへの旅行者でしかなく、現地で売春をしていたとしてもその富と無関心さが彼らをサンタテレサの現実から隔離している。

 「アマルフィターノの部」(1995年、ボラーニョがリッピーに説明した本から明らかに派生したものだ)では、殺人事件からまだ距離を置きつつも、より現場へと近づいている。第1部が知的なラブロマンスだとしたら、第2部は実存的なドラマだろう。ヨーロッパを去りサンタテレサ大学へとやってきたチリ人の哲学科の教授は、静かな絶望に沈んでいる。彼が恐れているのは自分が狂ってしまうのではないかということであり(夜中、どこからともなく彼に語りかける声がする)、街の暴力が自分の娘にまで及ぶのではないかということだ(自宅の外で黒い車を頻繁に見かける)。

 注意深い読者なら、まるで赤い指紋がびっしりついていたかのように、最初の2章から何がくるかのヒントを見つけるかもしれない。そしてサンタテレサの暴力が紙面へと滲み出てくるのは、第3部「フェイトの部」からだ。ナイーブなアメリカ人記者がバーで立っていると、店の向こうで男性が女性を殴っているところに出くわす。「最初の一発は女性の頭を危険なぐらい跳ね上げ、二発目で女性は倒れてしまった」。記者は別の種類の「一撃(Blow)」(アメリカ人ボクサーとメキシコ人ボクサーとの試合)を見るためメキシコへ車を走らせるが、すぐに本当の「一撃」はリングの外で放たれていたことを知る。彼は街のみすぼらしい顔に慣れてきたことで、女性がレイプされるビデオを見せられる。彼は街の殺人事件の最重要容疑者と面会するが、警察を恐れて街から急いで車を発進させる。

 このノワールからの逃走は、挽歌へのプレリュードだ。「犯罪の部」は1993年、13歳の少女の死体の記述から始まり、108体目の死体で見つかる1997年のクリスマスで終わる。一連の殺人事件の記録は状況証拠が臨床的に細かく記述され(この第4部が最も長く、264ページにまでのぼる)、4人の刑事、1人の記者、複数の事件に関わる最重要容疑者、そしてそれに付随する様々な登場人物たちによって編み巡らされていく。このコラージュはボラーニョの手により、登場人物たちのやり取りと忌々しい反復(「事件は一件落着した」が頭から離れなくなる)の、恐怖のフーガとなるのだ。

 ボラーニョは、切れ味あるブラックユーモアと時折愛情が見られるサブプロットで、この残酷なストーリーに明るさを出す。しかし全体的には「犯罪の部」は深淵を覗くような読書である。絞殺、射殺、刺殺、焼殺、強姦、鞭打ち、切断、賄賂、裏切り…これらが全て無感情な散文で詳細に語られる。「11月の中旬…」から始まる段落は典型的だ。


「13歳のアンドレ・パチェーコ・マルティネスは、第16職業訓練校からの帰り道に誘拐された…2日後に彼女が発見されたとき、遺体には明らかに絞殺の痕が残され、舌骨は折れていた。彼女は肛門と膣の両方からレイプされていた。手首は縛られていたかのように腫れていた。両くるぶしには裂傷があり、脚が縛られていたことが推測される。エルサルバドルからの移民が、マデロ区のアラモス区近くにあるフランシスコ第I学校の裏で遺体を発見した。着衣に乱れはなく、衣服もシャツのボタンがいくつかなくなっていることを除けばそのままだった」

 ボラーニョの他の小説を読んできた人なら、この文章から異常なほどの冷静さを感じるだろう。しかし、詳細なおぞましさのレベルは他の作品の比ではない──あるいは、彼が読むことのできた新聞記事さえもだ。殺人事件の調査、最重要容疑者の足取りに関連する出来事などの彼の記述は、正確であると同時に並外れている。

 どうやってボラーニョは海の向こう側にいながらにして、一連の事件の詳細と地元警察の捜査にここまで近づくことができたのか? 彼の他の探偵小説は、歴史の鮮血が乾いたのちに書かれている。その場合でも、ボラーニョは必ずその出来事から直接か、もしくは彼の友人からネタを引き出していた。しかし彼が「犯罪の部」を書いていた当時、フアレスの殺人事件に関する情報は厳しく制限されていた。この種のハイパーリアリズムを成功させるために、彼は誰かの助けを借りねばならなかった。スアレスの内部にいて、死体解剖に対する執拗な関心を持っている誰かの助けを。



ジャーナリストの部

 ボラーニョがカルラ・リッピーに手紙を書いた1995年の夏、フアレスの南の空港の近くで、絞殺された若い女性の半裸の遺体が複数体発見された。その年の9月、街は犯人に関する情報に1000ドルの報奨金を与えると発表した。1ヶ月後、警察は性的攻撃の経歴を持つアラブ系アメリカ人の薬剤師、アブダル・ラティフ・シャリフを逮捕。5つの殺人事件と、9月のいくつかの犯罪に関わったとして起訴した。しかし2ヶ月後、シャリフが裁判を待っている間に、殺害されたばかりの遺体が発見され始めた。警察は、シャリフが独房の中から殺人を指示、女性1人の殺害につき1200ドルを払っていたと主張。警察によればナイトクラブの一斉摘発で彼の協力者である10代の少年8人を逮捕し、彼らは「反逆者たち(The Rebels)」と呼ばれていた。

 このニュースは、およそ1000マイル離れたメキシコシティのセルヒオ・ゴンザレス・ロドリゲスという記者の興味を引いた。小説家でもあり芸術のジャーナリストでもあったゴンザレス・ロドリゲスは1980年代にそのキャリアをスタートさせ、カルロス・モンシバイスという文化批評を牽引しメキシコのニュー・ジャーナリズムのパイオニアとされる作家の批評を書いていた。レフォルマ紙が声を掛けてくる1993年までに、ゴンザレス・ロドリゲスは政治家の怒りを買うことを恐れない中道派の批評家としてその名が知られるようになっていた。というのも、彼は1988年に不正投票だと多くの主張がある中で当選した当時の大統領、カルロス・サリナス・デ・ゴルタリに協力する知識人たちの倫理観を疑う記事をレフォルマ紙に書いたことで、ナクソス誌をクビになっていたからだ。この独立心は熱心な調査報道をしてきたレフォルマ新聞にとってゴンザレス・ロドリゲスがうってつけの人材だったということであり、彼はレフォルマ紙週末版の付録となる文化系冊子『エルエンジェル』の編集の1人として雇われた(ゴンザレス・ロドリゲスは最近でもこの冊子の編集に顧問として携わっており、レフォルマ紙にも定期連載のコラムを3つ書いている)。

 ゴンザレス・ロドリゲスはフアレスのニュースを知り、何年か前に観た『羊たちの沈黙』を思い出した。シウダー・フアレスに本物のハンニバル・レクターがいるだなんて、そんなこと本当にありえるのだろうか? この問いに答えるのは彼の本来の持ち場ではないのだが、何回かインタビューで私に説明してくれたように、彼は暴力を描いた文学にいつも興味を持っていた。彼のお気に入りの本は、トルーマン・カポーティの『冷血』、ノーマン・メイラーの『死刑執行人の歌』、そしてハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーの『政治と犯罪』だ。彼はゼミで教えるためにチワワ州へ飛ぶという計画をすでに立てていた。レフォルマ紙を説得してフアレスへのフライト代を出させるのは簡単で、彼は最重要容疑者が刑務所内で開く記者会見に参加し、その内容を報告することができた。1996年4月19日のことだ。

 ゴンザレス・ロドリゲスはその日、背が高く、緑の瞳を持った中年の男が、30人ほどの記者を相手に演説をするのを目撃した。シャリフはほとんどスペイン語が喋れなかったので(メキシコには1年も住んでいなかった)、二ヶ国語喋れる記者が通訳しながらシャリフは英語でプレゼンテーションをした。彼の喋る内容はさながらメロドラマのようだった。シャリフによれば、フェミサイドは金持ちのメキシコ人2人組によって行われているという。1人はフアレスに住んでいて、もう1人はエル・パソの国境を越えたところにいる(訳注:エル・パソアメリカ、テキサス州の街)。彼はその内の1人と、フアレスに住む貧しく美しい女性とのラブストーリーを語った。記者団は顔を見合わせたりジョークを言ったりとイライラしている様子だった。ゴンザレス・ロドリゲスはとても胡散臭いと感じたが、彼の批評家としての一面はシャリフのスタイルに興味をそそられていた。胸を叩いて己の無実を訴えるのではなく、容疑者が90分に渡って物語を詳しく語る。まるで、もし犯人が別にいるという新しい説明をできたのなら、彼に対する告発が取り下げられると信じているかのようだった。

 会見が終わったあと、ゴンザレス・ロドリゲスは地元の記者の1人へ自己紹介をした。刑務所の近くの公園で2人が容疑者の奇妙な会見について話していると、ある母と娘が近づいてきた。

 あなたたちはジャーナリストですか? 母が尋ねた。

 そうですよ。

 あなたたちに教えたいのです、絶対に知っておくべきだと思うことを。

 母の傍らにいる14歳の女の子は、Tシャツにジーンズ、スニーカーという格好だった。彼女は記者たちに、フアレスの警察署長が彼女に「反逆者たち」を訴えるよう強制しているのだと話した。彼女は言った。署長は私の髪を掴み、言うことを聞くと約束するまで壁に打ちつけたのです。

 突然、ゴンザレス・ロドリゲスの中で事件への見方が変わった。これまでの事実(ナイトクラブの摘発、急増したシャリフへの訴え)が、新しい光によって輝き始めた。警察は目撃者に対して暴力を振るっている。「これは」彼は思った、「氷山の一角だ」。のちに彼は、シャリフが刑務所で長々と喋っている一方、州の人権委員会が反逆者たちの目撃者8人のうち6人がフアレス警察によって不法に拘留されたと発表していたことを知る。

 ゴンザレス・ロドリゲスはメキシコシティに戻り、彼からの報告と目撃者の処遇に関する疑惑の記事を発表した。その後すぐ、レフォルマ紙は彼にフアレスの事件の特別調査部に加わるよう要請した。調査部長ロザンナフエンテス・べレインは、被害者の多くが働いていたという工場に潜入捜査としてジャーナリストを送り、他の記者は警察の捜査を事件ごとに細かく追うように指示した。そしてゴンザレス・ロドリゲスは、規則性と動機を探るために事件の全体像を描く仕事を任された。彼女はゴンザレス・ロドリゲスに対して他の記者と同じように校閲したが(情報源の裏付けや、彼の批判的な主張を支えるさらなる証拠を求めたこともあった)、彼女は彼の記事にかなりの独自裁量を認めていた。

 3年間、彼はフアレスとメキシコシティ間を飛び続けた。本と映画のレビューもなんとかこなしつつの犯罪の調査は1999年の夏まで続いたが、彼の調査はある推論にたどり着きつつあった。それはフアレスの警察、自治体、そしてドラッグの密売業者までもがそれぞれ繋がっていて、フェミサイドに関わっている、というものだ。この年の初め、シャリフの担当弁護士の息子が襲われる事件が発生し、彼の疑いをさらに強いものにした。彼は思った、司法制度が適切に機能しているならば、どうして弁護士の息子が襲撃されるのか? そして6月12日、ゴンザレス・ロドリゲスはエル・パソ紙の記者と一緒に、フェミサイドには地元警察と大物上院議員が絡んでいるとほのめかす囚人へインタビューを行った。

 自身の著書『Huesos en el desierto』(訳注:直訳は「砂漠の骨」英訳も日本語訳もされていない)においてゴンザレス・ロドリゲスは、囚人へのインタビューの3日後にメキシコシティで誘拐、暴行された経緯を詳しく書いている。彼は深夜のコンデサの高級住宅街でタクシーに乗り、家に向かっていた。タクシーはしばらく走ると突然停車、すると2人の武装した男が車に乗り込んできた。彼らはロドリゲス・ゴンザレスに、目を閉じろ、後部座席で俺たちの間に座れと命令した。そしてタクシーは出発した──運転手は共犯者だったのだ。ロドリゲス・ゴンザレスは抵抗しなかったが、男たちは彼を罵り、殴り、拳銃で叩き、アイスピックで脚を突き刺した。首都から南へ行ったところの砂漠でお前を殺すんだよ、と彼らは言った。タクシーが再び停車すると、2人のうち1人が外へ出て、もう1人も外へ出て、彼らからボスと呼ばれる人物が乗り込んで座った。そして再び暴力が始まり、レイプと死の恐怖が彼を襲った。パトロールカーが光を放ちながら近くを通り過ぎ、男たちはゴンザレス・ロドリゲスを通りに投げ捨てた。彼は警察に届け出て、医者に行き、鎮痛剤を処方され安静にするよう言われた。6月18日、彼の記事「警察は共犯者」がレフォルマ紙に掲載された。

 それから2ヶ月、ゴンザレス・ロドリゲスはゾンビのような生活を送った。彼の視界は灰色がかり、発声も聞き取りづらく、記憶もまばらになりながらも、レビューを書き、編集し、友人たちと外出した。ついに8月11日、自宅で彼が一杯のコーヒーすら入れられなくなったとき、友人2人が彼を病院へ担ぎ込んだ。そして脳を圧迫していた血腫を取り除く緊急手術を受けた。

 全ての予想を覆して、彼は完全に回復した。しかしこの暴行は彼の人生にとってターニングポイントとなった。襲撃を受ける前、ゴンザレス・ロドリゲスは自宅や携帯電話に奇妙なノイズが聞こえたり、使えないサービスがあったりといった問題を抱えていたが、襲撃後はよく尾行されるようになった。彼の友人パオラ・ティノーコは、手術から数ヶ月間、彼とレストランで食事するときはいつでもイヤホンをつけた人たちに監視されていたと、当時のことを語ってくれた。その状況は恐ろしく、何もできることはなく、2人はユーモアに逃げるしかなかった。見知らぬ人間が近くにいるときはお互い馬鹿げた話を言い合っていた。例えばある夜は、2人は有名な童謡「The Ducky」の歌詞を朗読したという。

 アヒルちゃんは走り回り、自分のハンドバッグを探している

 彼女の小さなアヒルちゃんたちを食べさせる銅貨のために

 だって彼女は知っている 彼女が戻ったとき

 アヒルちゃんたちがみんな寄ってきてこう聞くことを

 何を持ってきてくれたの、ママ、クワックワッ?

 何を持ってきてくれたの、クワックワッ?

 ハリウッド映画のような連続殺人犯を探してフアレスに飛んだ1995年を思い出し、ゴンザレス・ロドリゲスはこう語る。「自分が何に足を踏み入れようとしているのか、全くわかっていなかったんだ」ハンニバル・レクターの代わりに彼が見つけたものは、冷酷かつ裕福だからという理由だけでフアレス最悪の犯罪を隠蔽してしまう免罪のシステム、そして警察、司法機関、州、国がグルになっているというシステムだ。こんな結論を導き出してしまった以上、後戻りはできなかった。「地獄にいるんだよ」と彼は言う。「なぜ自分が生かされているのか分からない、そんな地獄に」。その地獄の炎は、彼が責任と正義について抱いていた多くの古い幻想を焼き尽くし、メキシコの黒い心臓をあらわにしたのだ。

 彼は、被害者の数が誇張され、事件は痴情のもつれであり、被害者は売春婦だったのではないかと権力が思わせることで、故意にフアレスの現実を混乱させ覆い隠そうとしたと確信していた。彼はそういった権力による憶測を否定するために、見つけた事実を永久に記録として残したかった。1週間の終わりに古紙として捨てられることのない記録として。



書簡の部

 ゴンザレス・ロドリゲスが初めて襲撃されたのと同じ年、ボラーニョは「狂気のもつれ」と5年以上も格闘していた。ボラーニョはフアレスの情報を求めて、メキシコの友人たちにもっともっと殺人事件に関する詳細を教えてくれとメールを送った。このおぞましい要求にうんざりした友人たちは、彼らがメキシコでこの犯罪に最も詳しい人物であると一致する、ゴンザレス・ロドリゲスを紹介することにした。ボラーニョが彼に最初のメールを送ったとき、ゴンザレス・ロドリゲスは調査をまとめたノンフィクションを執筆しようと決めていた頃だった。

 今にして思えば、2人がもっと早く接触しなかったのは不思議なことに思える。2人はだいたい同じ年齢であり(ゴンザレス・ロドリゲスは1950年生まれで、ボラーニョは1953年)、2人とも70年代メキシコシティカウンターカルチャーの一員で(ボラーニョはインフラリアリズム(訳注:もちろん「はらわたリアリズムの元ネタ」)の詩人として街を闊歩し、ゴンザレス・ロドリゲスはグルーポ・エニグマというヘヴィーメタルバンドのベーシストだった)、2人とも小説を書き始めた年齢が遅く、2人とも文学への慧眼を持っていると誇りを持っていた。ホルヘ・エラルデ、批評家であり小説家のフアン・ビジョーロなど共通の友人も多かった。そして、2人とも人生の中年期をフアレスに費やした。

 ゴンザレス・ロドリゲスはボラーニョの事件への興味がふとした思いつきなどではないと見抜いた。「多くの小説家が書くような、短期間バイトじゃなかった」とゴンザレス・ロドリゲスは言った。「人生をかけた激しい感情だった。彼はこんなことを言っているようだった、このテクストについてどう思う? これについては? これは? 彼は全部読んでいたんだ」

 ゴンザレス・ロドリゲスの説明によれば、ボラーニョが必要としていたのは事件と捜査の詳細への協力だった。なぜならあまりにも漠然とした報道ばかりだったからだ。フアレスの麻薬組織がどのように活動しているか、彼らが乗っている車種は、彼らが携帯している武器は何か、彼はこういった情報を知りたがった。ゴンザレス・ロドリゲスは言う。「彼が求めていたのは、正確性なんだ」。武器の話をするならば、ボラーニョは銃のメーカーだけでなく、型番や口径までも知りたがった。

 彼はまた、警察の職務と不正の特殊性を理解するためにチワワ州警察の心理にも関心を抱いていた。彼は殺人事件の報告書がどのように書かれたかを正確に知りたがり、科学捜査の報告書のコピーを欲しがったので、ゴンザレス・ロドリゲスは被告人弁護士から入手した1枚のレポートを掘り出してきた。ボラーニョの要望で、ゴンザレス・ロドリゲスは被害者の傷を描写した部分を複写した。「彼は科学捜査用語を知りたかったんだ」。ゴンザレス・ロドリゲスは思い出す。それこそ「犯罪の部」で使われた専門用語である。

 「彼が私に頼んだことから考えると、彼は私と意見交換をしたかったのだと思う」とゴンザレス・ロドリゲスは言う。「思うに、野生の探偵は、私というもう1人の野生の探偵を求めていたのだろう。似たような結論を引き出すためにね」。しかし作家なら皆知っているように、結論を共有しても、しばしば最後は書き換えることになってしまう。ゴンザレス・ロドリゲスと意見交換したことによって、ボラーニョは長年温めていた考えも変えていたのかもしれない。例えば、2人の野生の探偵たちがロバート・K・レスラーについて意見を交わしていたときだ。元FBIの犯罪学者は捜査に協力するため1998年にフアレスを訪れて、事件はメキシコ議会と司法長官との間の取引のせいだとしていた。ボラーニョはレスラーの有名な本はすでに読んでいて(『Sexual Homicide』『Crime Classification Manual』など)、レスラーが事件を解決できなかったことに驚いていた。

 どうしてレスターは犯人を捕まえられなかったんだ? 彼はそう尋ねた。

 ただの見せかけだったのさ。ゴンザレス・ロドリゲスはそう教えたのを覚えている。彼は、レスラーが何の準備もない状態でフアレスにやってきたと説明した。専属の通訳を連れてこなかったし、彼にお金を払った当局の関係者は後の調査で犯罪に絡んでいる可能性が高い人物だったし、事件の記録は彼が全く読めないスペイン語で読まねばならなかったし、ボディーガードを与えられて一挙一足全てを監視されていたのだ。ゴンザレス・ロドリゲスは覚えている。この話を知ったボラーニョは冷たい水を浴びせられたかのような衝撃を受けた。

 「彼は事件を無事に収めることのできる理性的な力があると信じたかったのだ」彼はそう言った。事実、全てのボラーニョ作品に謎を解いて勝ち誇る人物が登場する──『2666』を除いて。『はるかな星』では、探偵アベル・ロメロが知性ある詩人の助けを借りて連続殺人犯を捕まえる。『チリ夜想曲』では、名もなき若き探偵たちが文学サロンでの犯罪を明らかにする。それとは別の名もなきインタビュアーがアルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマの痕跡を追うのが『野生の探偵たち』で、2人の若い詩人は謎の作家セサリオ・ティナへーロを見つけることに成功する──サンタテレサに近い街で。

 『2666』のみ、犯人は投げ縄や罠をすり抜けて、目の前に現れる全ての詮索好きを打ちのめし殺している。意味ありげに、『2666』の最終稿でレスラーがモデルの登場人物(アルバート・ケスラー)がずる賢い探偵として登場するが、数ページ後に調査を突然打ち切られる。

 より根本的なこととしてゴンザレス・ロドリゲスは、彼の調査結果がいかにしてフアレスでの殺人事件に地元警察、政治家、麻薬カルテルを形成する金目当てのギャング全てが関わっていることを示しているかをボラーニョに教えた。彼は説明した、警察が真剣に捜査をしない理由は、彼らがろくにトレーニングされていないからか、女嫌いからか、あるいは麻薬犯罪を見逃すように取引をしているかだ。

 つまり連続殺人犯はいないということか? ボラーニョがそう聞いてきたとゴンザレス・ロドリゲスは言った。

 いや、もちろん連続殺人犯はいる。ゴンザレス・ロドリゲスはこう返した。しかし、連続殺人犯は1人ではない、私が思うに少なくとも2人いる。

 ゴンザレス・ロドリゲスは言う。この新事実にボラーニョは狼狽していたようだ。この作家はこのときまでに精巧で見事なまでの物語構成を作り上げていたのだが、それはある程度「連続殺人犯は1人である」という考えに基づいていたのだ。現実のシャリフが無罪か有罪かは彼にとって問題ではない。問題はどうやって事件に関する正確な情報を『2666』に落とし込むかだ。

 ボラーニョの解決法は、フアレスに関するゴンザレス・ロドリゲスの調査結果を数多く取り入れて、ボラーニョのやり方でそれらを大いに脚色することだったのだろう。「犯罪の部」のストーリーとゴンザレス・ロドリゲスの著書『砂漠の骨』との共通点は驚くべきものだ。ゴンザレス・ロドリゲスは指摘する。「私の本に忠実に書いているものは1つもなかったよ」。名前は変えられ、国籍も変わり、新しい登場人物が出てきて、全体のプロットは想像によって尾ひれがつけられ、スタイル、雰囲気も変わっていた。ボラーニョはゴンザレス・ロドリゲスが教えたことを全て利用したかもしれないが(彼は『砂漠の骨』の原稿を出版の数ヶ月前に読んでいる)、自分の結末に沿うように書き直したのだ。



愚か者の部

 メールのやり取りをしてから数年後、ゴンザレス・ロドリゲスが『砂漠の骨』の出版イベントでバルセロナを訪れた2002年11月に、ついに2人の野生の探偵たちは直接顔をあわせることになった。アナグラマ社は『砂漠の骨』を権威あるCrónicasシリーズに加え(訳注:Crónicasとは英語で「Literary Journalism」の意味)、ギュンター・ヴァルラフ、リシャルト・カプシチンスキ、マイケル・ハーの著作と合わせて陳列された。出版記念会に100人以上が招待された。数ヶ月後、『砂漠の骨』からインスパイアされた演劇に招待されたメキシコ領事館が「メキシコを貶めるような作品はサポートしません」という声明とともに代表を送ることを断った、と発表された。

 作者を守るためにスペインでの『砂漠の骨』の出版は限定的なものになった。出版当時はゴンザレス・ロドリゲスが目を付けていた政府、警察関係者がまだ力を持っていたし、メキシコを文明国家と表現したい人々にとってフアレスの汚職に対する当局の説明は到底納得できるものではなかった。しかしヨーロッパでの本に対するメディア報道は、ゴンザレス・ロドリゲスには報復行為からの一定の保護が必要という考えになった。そういった報道のあとでは、のちにメキシコで『砂漠の骨』が出版されたときに、作者とその著作に注目が集まるのは避けられないことのように思えた。

 ボラーニョは出版記念には参加しなかったが、翌朝ゴンザレス・ロドリゲスとその友人が、ボラーニョとその家族と昼食を食べるために、ブラナスの海沿いの街へ向けて北へ向かった。しかし、前夜の出版記念パーティーアブサン(訳注:リキュールの一種)によって二日酔いだった2人は違う電車に乗り込んでしまい、到着が数時間も遅れてしまった。ボラーニョは彼らの遅刻を許し、ワインのボトルを開け、彼らにハムのサンドウィッチをすすめた。病気のせいでボラーニョがお酒を飲めないことを知っていたゴンザレス・ロドリゲスは、ボラーニョのために彼が『野生の探偵たち』で彼が永遠の命を与えたカフェ「ラ・ハバナ」のコーヒー豆を0.5キロ持ってきていた。ボラーニョの肝臓はコーヒーも飲むことができないほど悪化していたのだが、彼が袋を開けて、その中に鼻を埋めたことをゴンザレス・ロドリゲスは覚えている。

 それから数時間、彼らはフアレスの殺人事件について話し合った。このときだけは携帯電話が没収されたりEメールが傍受されたりといったことを心配しなくてよかった。ボラーニョは好きなだけ質問することができた。

 聞いてくれ、ボラーニョは冗談を言った、私は君を小説内の登場人物にしたんだよ。ハビエル・マリアスが『La negra espalda del tiempo(訳注:英題はDark Back of Time)』でやったアイディアを頂戴したんだ。

 ゴンザレス・ロドリゲスは胃が急に重たくなった気がした。本当かい、ボラーニョ? 私の名前で?

 ああ、でも心配しないでくれ、ボラーニョは言った。彼の娘アレハンドラがゴンザレス・ロドリゲスの友人と遊んでいた。ボラーニョは幸せそうだった。ゴンザレス・ロドリゲスは言葉に詰まった。

 次の日の午後、彼らはバルセロナ寿司店で待ち合わせた。今回彼らが話したのはフアレスではなく文学についてだった。ボラーニョはメキシコの作家たちはまだ髭を生やしているのか、それとも全部剃ってしまったのかを聞いた。あるとき、彼は彼とマリオ・サンティアゴが1992年のパリでインフラリアリスト運動を正式に解散させていたことを教えてくれた。彼は狂っているよ、ゴンザレス・ロドリゲスはそう思った。インフラリアリストを重要だと考えていたのは、ボラーニョとサンティアゴの2人だけだと思っていたからね。

 この訪問のすぐ後、ボラーニョはエッセイ「ハリケーンの下のセルジオ・ゴンザレス・ロドリゲス」を発表した。そこで彼は勇気あるジャーナリストへの愛情と称賛を表明し、彼の著作を褒め称えていた。彼はこう書いている。「私の小説の執筆において」ゴンザレス・ロドリゲスの「技術的な協力は不可欠なものになっている」。そして『砂漠の骨』は「悪と堕落の不完全な写真であるだけでなく(他に何があるだろう)、本自体がメキシコの、メキシコの過去の、そして全てのラテンアメリカの不確定な未来のメタファーとなっている」

 7ヶ月後の2003年1月、ボラーニョはバルセロナの病院に入院。2週間後に亡くなった。

 2004年、メキシコで『2666』が出版されたとき、ゴンザレス・ロドリゲスはなかなかページをめくることができなかった。「死んだ女性の章を読むのに数ヶ月かかったよ」と彼は言う。「読むのは恐ろしかった。実際に経験するのとは別のこととして、ボラーニョのような偉大な文学者が書いたものを通してそれを見る、というのは笑いごとじゃないのに。ロベルトは誰よりも愚か者だよ。わかるかい?」

 記者としてゴンザレス・ロドリゲスは、自分が再度襲撃される可能性を無視できるレベルで、危険な世界と距離を取り続けていた。しかし『2666』の殺人者と隠蔽の世界で彼の名前のキャラクターが身動きできなくなっているのを見つけ、それが幻想でしかないことが分かった。ボラーニョは1999年のゴンザレス・ロドリゲス襲撃をそっくりそのまま正確に描写した誘拐のシーンを書きさえした。ただし、現実と違うのは襲撃が死で終わることで、また死んだ記者が本当に「セルヒオ・ゴンザレス」という登場人物なのかははっきりしない(訳注:誘拐のシーンは「フェイトの部」の297ページだが、ここで記者の名前は明かされない。「セルヒオ・ゴンザレス」が登場するのはそのあとの「犯罪の部」)。

 そういった特定の心理戦はさておき、2004年にカルテル汚職を書いたメキシコのジャーナリストたちはみな危険を感じていただろう。その年のメキシコでは、5人の記者が殺されるか、行方不明になっていた。その中の1人は、幼い子供2人の目の前で撃たれた。国境なき記者団の2007年の報告によれば、メキシコはジャーナリストにとってイラクに次いで世界で2番目に危険な土地に選ばれている。レフォルマグループの会長アレハンドロ・フンコ・デ・ラ・ヴェガは2008年のコロンビア大学での講演で、グループの3つの新聞はジャーナリストを守るためにもはや署名入り記事を載せることができなくなったと言った。「私たちは麻薬界の大物や犯罪者たちに包囲されているんだ」と彼は説明した。「彼らの活動を明るみに出せば出すほど、彼らは押し返してくるんだ」。フンコは彼の家族全員を「アメリカの安全な場所」へと移している。

 『2666』の出版とゴンザレス・ロドリゲスがフアレスに行くことを止めたのが同じ年だったことは偶然だったかもしれない。ゴンザレス・ロドリゲスはチワワ州で彼の首に懸賞金が掛けられていると聞いた。彼の記事は誹謗中傷だとする訴訟も起こされて、チワワ州の土を踏んだ瞬間投獄される恐れもあった。こういった策略を考慮し、彼の弁護士はどんな状況下でもチワワ州に行くべきではないと警告した(2007年の春、フェリペ・カルデロン大統領が中傷と「侮辱」の合法化と州政府もそれに従うという連邦法にサインするまで続いた)。ゴンザレス・ロドリゲスが最後に訪れたとき、何が起こっているのか話したがる人はいなかった。ドアが全て閉じられた街になってしまったのだ。

 『砂漠の骨』も『2666』も簡単な本ではない。私は2冊とも読んでいるときは悪夢に苛まれた。ページは掘られたばかりの墓穴のようで、それぞれ異なる悪の哲学の影が落ちていた。『砂漠の骨』では、フアレスは蔓延る汚職の犠牲者だった。ゴンザレス・ロドリゲスは、警察と司法が見ないふりをしているときに残酷な行為が日常と化す、と信じている。女性への強姦と殺人、ジャーナリストの暗殺、身代金目的の誘拐…もはやこれらの犯罪がメキシコでトップニュースになることはない。ゴンザレス・ロドリゲスは言う。「連続殺人犯のような悪意に満ちた人間は、ある種の大規模な影響を及ぼしてしまう」。その影響とは、全体主義の独裁政治にも匹敵する皆殺しのメカニズムを引き起こしてしまうことだ。この「残忍な行為の標準化」は現代のメキシコとラテンアメリカが直面している最も重要な問題なのだ。

 『2666』の最終章「アルチンボルディの部」で、ボラーニョは より不気味な悪のヴィジョンを提示する。この章は第一次世界大戦の終わり、負傷したプロイセン人が家へと帰ってくることから始まる。すべてが変わりつつある、と見知らぬ人が彼に告げる。「戦争は終わろうとしていて、新しい時代が始まろうとしている。(プロイセン人は)食べながら答えた、何にも変わりはしないよ」。実際、第一次世界大戦から90年代後半まで広がる『2666』の最終章は、歴史は単なる「お互いに怪物性で競い合う」瞬間の連続でしかないというアルチンボルディの信念を証明するかのように構成されている。アルチンボルディが東部の最前線で第三帝国と戦い、ベルリンの廃墟で小説家としてのキャリアをスタートさせながらも、ボラーニョは私たちにレイプと殺人の物語を繰り返し語る。ドイツの丘では男が自分の妻を殺し、警察は見て見ぬ振りをする。戦争中、田舎へ疎開してきた都会人は決まって略奪され、レイプされ、殺される。ルーマニアのとある城の周りには至るところに人の骨が埋められていて、そこでホロコーストがあったことを暗示している。

 この残忍性と免罪の風景の中では、サンタテレサはそれほど異常には見えない。根底に隅々まで行き渡っている悪が、湧き出て表面を突き破った場所が数多く存在し、サンタテレサもそんな場所の中の1つなのだ。この小説が言っているように見えることは、今のサンタテレサのように、これまでもそうだったように、2666年の墓場でもそうであるように、悪は海のようにどこまでも永遠に拡がっているということだ。

 この暴力のヴィジョンは、アメリカの黙示録作家、コーマック・マッカーシーを思い出させる。しかしボラーニョの小説にはセックスとコメディが存在し、彼のヒーローは『ロード』や『ブラッド・メリディアン』のそれらとは全く異なる。アルチンボルディはポーランドルーマニアといった戦場を行進するが、その姿は海の底をうろつき回る男、深く暗い恐怖に浸かっているがまだそれには触れていない男のようである。10代の頃、アルチンボルディはヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィヴァール』を読み、中世の「独立した世俗(lay and independent)」の騎士という考えに魅了された。彼にとっての聖杯は、見捨てられらたユダヤ人村で見つけた死んだ男の日記だった。

 「独立した世俗の騎士」。この言葉は『2666』のページの間をさまよい歩く偉大な探偵たちと偉大な作家たちを象徴しているのかもしれない。彼/彼女らは皆、たったひとりで深淵を読み、深淵を泳ぐことに自らを捧げている。この世界で作家になることは、探偵になるのと同じくらい危険な行為なのだ。墓場を歩き、幽霊たちを見つめる探偵に。





※『2666』本文からの引用箇所も『Roberto Bolano The Last Interview』から、つまり重訳しているが、最後の「独立した世俗の騎士(lay and independent)」のみ野谷文昭・内田兆史・久野量一訳の『2666』(白水社 2012年)を引用させてもらった。